2013年10月11日金曜日

今、目の前に、あるんです、悦びは

 ぜひね、もう少し、自分に意識を向けてください。
 で、これからの人生、 -略- 
 どれだけ自分に意識が向いてるか、
 これをチェックして欲しいんです。

 人のことなんか、ど~~~~でもいいんです。
 -略-
 私たちの目は、外を向いてます。
 そして、そういうことに興味を持っているのは自我で、
 実は、そういう自我が、常に日常の中で、
 例えば、テレビをつけてみたり、
 本を読んでみたり。

 あの、今ここにある、
 今、ここ、目の前に、みなさん、
 神を見、神を聞き、神に触れている。

 なのに自我は、
 常にここから意識をそらすことばっかりやってるんです、
 日常的に。
 常に、何かしようとします。
 今この瞬間から意識をそらすんです。

 それを、強制的に、今ここに戻す。
 それをぜひやって欲しいですね。

 で、この話は、本当に根気よくしなくちゃいけないことなんですけど、
 日常生活をよ~くチェックしてほしいんです。
 自分がいつも何をしているか。

 常に暇さえあったら、「今度何しよう?」と、考えてますね。
 で、この世界で何かをするってことは、
 もうほとんど価値の無いことなんですね。

 自分の中にある神を発見していく、この悦(よろこ)び。
 これはもう絶対的で、微動だにしないものなんです。

 しかし、ほとんど、日常生活の中で興味があるもの、
 例えば、ステキな彼がいたら、その人のことばっかり考えてる。

 確かに、いいものはその人に喜びを与える。
 しかし、それは二極のものであって、それが無くなる苦しみ。
 今までのこの二極の世界っていうのは、
 必ず、得て、失っていく。
 手に入れて、無くしていく。

 けど、そんなものじゃなくて、
 絶対に無くならないものがあるんです。
 目の前に。

 で、ぜひその、いつも意識、
 目の前、ここにあるすばらしいものから意識をそらそうそらそうとしてる
 自我の働きに気づく訓練をしてくださいね。

 山の頂上にあるわけじゃあないんですね、悦びは。
 今、目の前に、あるんです。

 ところが、自我は、「そんなはずはない」って思うんですね。
 「今ほどつまんないものはない」って。

 それは、長い間感じなかったせいであって、
 いつも今がつまらないのは、
 今ここにいるチャンスに、「明日どうしようか?」っていうことを
 考えているためなんですね。

 ぜひぜひ、この瞬間瞬間に意識を戻す訓練を。
 これだけは、報いられますからね。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より