2014年5月14日水曜日

気にならない

個人セッションにいらしてくださった方が、
過去記事「どっちでもいい」をお読みくださり、
そして、参考になったと、おっしゃってくださいました。

このブログをお読みくださり、ありがとうございます。
ご活用いただけて、とても嬉しいです。


さて、この『どっちでもいい』ということについて、
津留さんの言う『ニュートラル』について、
あの記事を書いた後に、ちょっと、想ったことがありますので、
付記したいと思います。


『ニュートラル』というのは、
 『どっちでもいい』
と思える状態です。

それを、
 「別の言葉で表すことができるなぁ」
 「これもまた、ピンと来る表現だなぁ」
と思いました。

それは、
 『気にならない』
という言葉・表現です。


『ニュートラル』であれば、
選択に際して『どっちでもいい』わけです。
結果は『どっちでもいい』わけです。

ですから、そのこと、その状況は、
 『どうでもいい』わけです。

そして、そのことは、
 『気にならない』し、
あるいは、
 『気にも留まらない』状態です。

それが、
あなたにとって『ニュートラル』なことです。

あなたが『気にならない』こと、
あるいは、
あなたにとって『気にも留まらない』ことが、
あなたにとって『ニュートラル』なことです。

そして、
すべてのことが『気にならない』人は、
何も『気になる』ことが無い人は、
 解脱した人
ですね ^^ 。

このような表現の方が
「分かりやすい」「ピンと来る」
という方もいらっしゃるかと思いましたので、
付記いたしました。


ところで。
逆にいうと、
もし、何かものさしを、価値観を、持っているときには、
そのことが『気になります』。

そして、そのことに関して、
ものさしを当ててみて、
価値観に照らし合わせてみて、
ポジティブであれば
 『気に入る』
し、
ネガティブであれば
 『気に入らない』
と感じます。

ということは、さらに言えば、
何かを『気に入ったり』『気に入らなかったり』するということは、
そこには、それを、あなたに、
『気に入ったり』『気に入らなかったり』感じさせる、判断させる、
ものさし・価値観がある、ということです。

何かが『気になる』ということは、
そこには、「自分を『気にならせる』」
 『何か』
があるということです。

『気に留めさせる』「ひっかからせる」「意識をとまらせる」
 『何か』
を握っているということです。


さて、ここで、
それが、自分が「いやだ」「嫌いだ」と思うことであれば、
『気に入らない』ことであれば、
そのことに関してストレスを感じますから、

そこに浄化対象である『価値観』があって、
そして、それを『浄化』しよう、と、
思えます。気づけます。

ところが、
自分が「好き」だと思うことであったり、
あるいは、自分が「良い」と思っていることである場合には、
『気に入っている』ことである場合には、
そのことに関してストレスを感じませんので、

そこに価値観が隠れていることには、
気がつきにくいものです。

ましてや、
そこから『浄化』には、発想が行きにくいものです。

でも、
2極の世界では、
プラスのあるところには、必ず、マイナスがあります。
プラスの裏には、必ず、マイナスがあります。

何かを『気に入っている』、「好き」「良い」と思っていれば、
必ず、
そうでない状態に、そうでない自分に、そうでない他人に、
ストレスを感じます。

そうでない自分を、そうでない他人を、
とがめます。

あるいは、
「そうならないかもしれない」ことに、状態に、
ストレスを感じます。

「そうならないかもしれない」ことを、
恐れます。

そして、そのことが、
隠れた、認識できていない「恐怖」として、
平素、あなたに、ストレスを与えている、与え続けている ...
そんなケースは、とても多いことと思います。

そのことが、
実は、最大のストレス要因だったりもします。


自分が好きなこと、良いと思っていること、『気に入っている』ことには、
浄化対象が、ひっそりと潜(ひそ)んでいます。
狡猾(こうかつ)に隠れています ^^ 。

浄化を進めて行かれる際には、
どうぞ、ご参考になさってください。