2014年7月14日月曜日

浄化ドM道


私たちは、普段、
 「自分が、ストレスを感じないように、感じないように」
注意を払っています。

 「自分が、ストレスを感じることがないように、ないように」
気をつけ、自らの行動を、選択しています。

あるいは、
 「自分にストレスを感じさせる事柄が、
  可能な限り、自分の周りに存在しないように」
状況を、環境を、選択しています。

そして、
もし、その、自分にとって不都合な状況・環境が、
「避けられない」「排除できない」ものであれば、
そのときには、
私たちは、その状況を、
 「自分がストレスを感じないですむようなものに、変えよう、変えよう」
と、努力します。
状況・環境を、
『操作』『コントロール』しようと、『創造』しようと、努力します。

このように、
私たちは、普段、
できる限り、『ストレス』を、避けて、避けて、生きています。


もう2ヶ月近くも前になると思うのですが、
久しぶりに、子供抜きで、妻と二人で、
外で食事をする機会がありました。

普段、子供たちがいるときには、
彼らの都合を優先して、席を決めているので、
そのときには、妻の好きなように、席を選んでもらいました。

とても大きなレストラン・カフェで、席は様々に選択可能な中、
妻は、窓際のテーブルを選び、座りました。
明るく、景色のいい場所で、それはよかったのですが、
ただ、僕が座る側の席のすぐ後ろには、
騒がしい若い女の子たちが、二人、座っていました。

席に着いてみると、
予想通り、いえ、予想を超えて、
その女の子たちの話し声は大きく、
そして、途切れることがありません。

せっかくの、子供抜きの、妻と二人の外食なのに、
子供たちが居るとき以上に騒がしい状況に、イラッとしました。

そして、
 「なんで... 」
頭の中で、思考の声が、つぶやきはじめました。
 「なんでわざわざ、こんな席を、選ん... 」
と、そこまでつぶやいたときに、
まず、あることに気づきました。

それは、
自分が、その環境を、
 「自分にストレスを与える環境である」
と認識して、
そして、
 「それを避けようとしている」
ということです。

自分が、可能な限り、
 「自分にストレスを感じさせるような状況・環境を、
  排除しよう、回避しよう」
としていることを、はっきりと認識しました。

と同時に、
 「そのような環境を『わざわざ』選択し、
  そして、それを僕に『与えた』妻を、
  非難している、とがめている」
ということにも、気づきました。

以前の記事「彼がしているのか、宇宙がしているのか」で、
 「自分にストレスを感じさせているのは、
  目の前にいる『人』なのか、
  それとも、『全体としての宇宙』なのか?」
ということを書きましたが、

僕は、やはり、まだまだ、これまでの習慣で、反射的に、
 「目の前の『人』が、
  自分にとって不都合なこと・好ましくないことを、
  自分に対して、行っている」
と、認識し、
そして、その上で、
その『人』を『とがめ』ている、ということに、気づきました。


そのときには、
それらのことに気づいたのに加えて、
さらに、ふと、あることを思いました。

津留さん交流会に、いつも参加くださる方で、
この10年、浄化に励まれている方がいらっしゃいます。

その方は、ご自身曰く、
 「趣味は、『想念観察』と『浄化』」
なのだそうです ^^ 。

で、
もう、そうなってくると、
 「自分は、『精神的M(マゾ)』だ」
というような認識になってくるみたいで、
交流会では、そう、公言されています。

それは、つまり、
 「ストレスを感じることが、嬉しい!」
という心境なのだそうです  (◎-◎;) 。

 「やった!ストレスを感じてる!!」
 「まだ、浄化対象があった!」
 「まだ、エネルギーブロックがあった」
 「これでまた、浄化ができる」
 「これを取れば、またさらに、楽になれる」
どうやら、そんな心境らしいです ^^

さて、
そのときに思ったのは、
 「あの方なら、この状況を『喜ぶ』だろうな」
ということです。
 「ストレスを感じることができて、さぞ、嬉しいだろうな」
そんなふうに、思いました。

そして、そこまで思って、
さらに、
ひとつ、想いが浮かびました。

 「いや、あの方なら、
  自ら進んで、そのような席を選ぶのではないか?」
 「そのような席を、『与えられた』ことを喜ぶだけでなく、
  自ら進んで、そのような環境を選ぶのではないだろうか?」

そんな想い・考えを、その場で、妻に話したところ、
 「さすがに、そこまでは、されてないのではないか」
という結論になったのですが、
事の真相真偽はさておき、
可能性としては、そのような選択肢もあるわけですよね。

つまり、
 「日ごろ、自ら進んで、積極的に、
  ストレスを感じるほうを、ストレスがより多いほうを、選択する」
という在り方も、あるわけですよね。


意識して、気づいてみると、
はじめに触れましたとおり、
私たちは、本当に、凄まじい勢いで、
ストレスを感じることを、「避けよう」「回避しよう」と、
懸命になっています。

そのような状況・環境を、「避けよう」と、「回避しよう」と、
必死になっています。

場合によっては、
現実を『創造』してまで、
 「ストレスを回避しよう」
としています。

そんな中、
 「自ら進んで、『ストレス』を選択する」
という『可能性』について思い至ったとき、
何か、自分の中の、『ストレス』に対する想い・認識が、
少し、変わった気がしました。

僕は、まだ、
『ストレス』を『ストレス』と感じていて、
 「感じないで済むなら、感じたくない」
 「だけど、いま、せっかく感じたので、じゃぁ、浄化しようか」
というような感じで、
日々、ハートに感じたストレスを、浄化しています
(過去記事「ハート観察」も参照していただけると嬉しいです)。

このように、
 「『感じた』『感じてしまった』ストレスについては、
  それに気づき、それを『感じて』、そして『浄化する』」
ということが、少し、できて来ていますが、

ただ、
まだまだ、
 「ストレスを『感じなくて済む』なら、感じたくない」
 「避けたい、回避したい」
と、思っています。感じています。

そんな中、
 「『感じた』ものについて『は』、逃げず、逸(そ)らさず、浄化する」
という考え・在り方から、さらに一歩進めた、
 「自ら積極的に、ストレスを感じに行く」
という考え方を、
自分の中に取り込んでみたときに、

自分の中の、『ストレス』に対する想い・認識が、
少し、変わりました。

 「取り込んだ」
といっても、
それを「採用した」わけではありません。
いま、そのようにしているわけではありません。
そこまでは、まだ、思えていません。

ただ、
 「そういう考え方もある」
ということを、頭で認識し、
かつ、その認識を否定せず、排除せず、
 「それも、有り得る」
と思っただけで、

その後、
自分の、
 「『ストレス』に対する『感じ方』」
が、変わりました。

 「嫌さが、少なくなった」
と表現するのがいいと思います。
 「より、抵抗少なく、受け入れられるようになった」
というような感じかもしれません。

 「自分から進んで、『ストレス』を感じに行くことだって、できるのだから、
  『浄化』のために、そこまですることだって、可能なのだから、
  避けがたく、すでに『感じてしまった』ものくらい、素直に受け入れよう」
そんな心境かも知れません。

とにかく、
その「嫌さ」「抵抗感」が少なくなったことにより、
よりスムーズに、
 「いま、『ストレス』を感じている」
ということに気づけるようなりましたし、
かつ、
よりスムーズに、
 「その、いま感じている『ストレス』を、そのまま浄化しよう」
という流れに、入って行けるようになりました。

そんな体験・情報を、シェアさせていただこうと思い、
ここに、お伝えいたしました。


さて。

そのとき以来、妻と僕は、
そのような、
 「自ら積極的に、ストレスを感じる環境を選択する」在り方を、
 
「M」の上を行く、という意味も含め、
 『 浄化ドM道 』
と、呼んでいます。

浄化についても、
 「そこまでくれば、もう、『道』だ」
という認識です ^^ 。

日ごろ、浄化を進めていらっしゃる方は、
ぜひ、そんな『 浄化ドM道 』について、そんな在り方について、
少し、思いを巡らせてみてください。

『ストレス』や『浄化』についての認識や感覚が、
少し、変わるかもしれません。

ただ、
僕は、それを薦めているわけでは、ありませんからね ^^

特に、
浄化を始められたばかりの方は、
どうぞ、無理なさらないでくださいね!