2014年7月18日金曜日

M2体操

先週、
僕が、普段、
 「『ハート』の状態を、観察していること」
そして、
 「ハートにストレスを感じたら、それを浄化していること」
を書きました
(過去記事「ハート観察」)。

その際に、
浄化の方法としては、
 「『感じる』『感じ尽くす』という方法」
を採っていることを、書きました。


さて、
そこでは、明記はしませんでしたが、

僕は、普段、
ほとんどの浄化を、
 「『感じる』こと」
によって、行っています。

そして、
M2による浄化は、
めったにしていません。

M2は、
おそらく、月に2回ほど、
「価値観」などの、大きめの浄化対象を浄化する際に、
使っています。

理由としては、
単純に、
『感じる』方法が、好きだからです。

たしかに、
ちゃんと浄化し切るまで、感じ尽くすには、
時間も集中力も要しますが、

ただ、『感じる』という方法は、
僕の場合、
浄化している間も、浄化し終わった後も、
浄化できている実感が、割と、しっかりとあるので、

この方法を使うと、
 「やった感」「した感」
が得られます。感じられます。

そんな理由から、
好んで使っています。

また、
場所や状況に影響を受けず、
 「『感じた』ままに、即座に、『浄化』できる」
という点でも、気に入っています。


いまは、
 「感じられた、上がってきた、細かいストレスを、
  感じたままに、浄化している」
  ので、
  『感じる』という方法で浄化をしているし、
  なので、M2は使っていない。

そんな感じです。


さて、
先の記事では、そんな感じで、
僕の、日ごろの、浄化の様子を、お伝えしました。

ところが、
おもしろいことに、というか、不思議なことに、
あの記事を書いた直後から、
急に、
M2がしたくなりました!

これって、何なんでしょうね? ^^

 「M2は、めったにしない」
という状況からの、記事を書いたら、
急に、M2がしたくなったのです。

おそらく、
 「M2をしないで、『感じる』だけで浄化をする、という体験」
と、
 「その体験の様子を、報告する」
という必要とが、あったのでしょうね、
しかも、あのタイミングで。

だれかにとって、
とても必要な・有用な情報だったのかも、しれません、
もしかしたら ^^ 。

それはともかく、
僕は、急にM2がしたくなり、
あの記事を書いた日以来、
折に触れ、
M2を使った浄化をするようになりました。


では、具体的に、
 「どんなふうに、何を、浄化しているのか」
というと、

これ、
特に、「具体的な『何か』」を意識・認識して、
浄化しているわけでは、ありません。

とはいえ、
『何か』を浄化しているわけですが、

では、
 「『何』を浄化しているのか」
というと、
それは、
これまでと同じで、
 「そのとき、『ハート』に感じたストレス」
を、浄化しています。

というより、
より、正確に言えば、
 「そのとき、ハートに感じて『いる』ストレス」
です。

 「そのとき、『たまたま』、ハートに上がって来ていたエネルギー」
を、解放し、手放しています。

つまり、
ここでは、
 「『浄化対象』が『主』」
なのではなく、
 「『浄化方法』ないしは『浄化をしようという意思そのもの』が『主』」
な、浄化をしているのです。


より詳しくいうと、
通常は、
 「いま、現に感じている『ストレス』が辛いから、浄化しよう」
とか、
 「自分は、こんな『エネルギーブロック』を持っているから、それを浄化しよう」
とか、

 「『浄化対象』『エネルギーブロック』の認識」
がまず、先にあって、
それを取り除く・手放す・解放するために、浄化をします。
それを意図して、浄化をします。

ところが、
いまからお伝えしようとしている、最近はじめた『浄化』は、
 そのような「『特定の』浄化対象の認識」があったりとか、
あるいは、
 「『特定の』ストレスの実感」があったりとか、
そういうことをきっかけとして行う浄化ではなく、

 「とにかく、浄化をしよう!」
という『意思』だけをきっかけとしていて、
 「じゃぁ、いま、浄化できるものを浄化しよう」
 「いま、浄化方法を実施したら浄化されて行くものを、浄化しよう」
と、浄化をします。

そのとき、
 「浄化対象が『何』であるか?」
ということは、認識しません。
頭で、理解・識別したりしません。

 「いま、現に『ハート』に来ている『エネルギー』」
を、ただ、『感じ』『捕まえ』、
そして、それを、
そのまま、M2(内杉式)によって、浄化します。

いま、「浄化をする」とだけ決めて、
そのときに、ハートにあるエネルギーを、ただ、解放します。
ただ、手放します。

なので、
そのときに、
 「何を浄化したのか」
 「何が浄化できたのか」
ということに関しては、
基本的には、分かりません。

「そのときに、ハートに来ていたエネルギー」を浄化しただけなので、
 「『何』が浄化されて行ったのか」
ということについては、
基本的には、分かりません。
 「それが『何』であったか」
は、基本的には、理解しません。

ただ、
 「そのときに、ハートに来ていたエネルギー」
が、浄化されて行きます。
ただ、
 「そのときに、感じていた『であろう』ストレス」
が、解放されて行きます。

という感じで、
すこし曖昧な感じの浄化ですが、
でも、
僕の場合には、
そのM2をやっている最中にも、
エネルギーをとらえられている実感がありますし、

やった後にも、
そのエネルギーが抜けて行って、
 「ハートが、すこし軽くなった」
とか、
 「ハートの、モヤモヤした感覚が減った」
とか、
 「気持ちが、すこし楽になった」
 「気分が、すこしすっきりした」
とか、
そんな形での実感が、あるので、
 「浄化そのものは、きちんとできている」
という確信があります。

理屈的にも、
浄化は、きちんと、できているはずです ^^ 。


 気づいたときに、気が向いたときに、
 ただ、ハートに意識を向けて、M2をする。

まるで、普段の生活の中において、
一息つくときに、
「身体を伸ばす」とか、
「首を回す」とか、
「凝りを感じるところを揉む」とか、
そんな感覚で、
ただ、「M2をする」。

あるいは、
 「ただ、M2の『動作』をする」
というふうに、言ってもいいかもしれません。

実際には、
ちゃんと、ハートに意識を向けて、
そこにある『エネルギー』を感じ、それを浄化しますが、
でも、
 「まるで、ただ、『動作』をしているかのごとく」
に、『浄化対象』には主眼を置かず、
ただ、淡々と、M2の動作を行う ...

そんな感じなので、
僕は、これを、
 『M2体操』
と呼んでいます。

 特に気構えずに、
 気が向いたら、
 ただ、M2をする。

そんな感じで、
機会を見ては、やっています。

ご興味を持たれた方は、
どうぞ、なさってみてください。

何度か、何日か、なさってみると、
 「なんだか分からないけど、すこし、軽くなった。楽になった」
そんな実感を持たれるかもしれません。

ご興味を持たれた方は、
特段、何かを期待せずに、
ただ、されてみてください。


される際のポイントとしては、
「M2をする際のポイント」そのものになりますが、

一つには、
先ほども触れましたが、
ハートに手を当てたときに、
できるだけ、
 「ハートの感覚・状態を、しっかりと、感じてみる」
 「ハートに来ているエネルギーを、意識する・とらえる」
ことをなさってください。
「個人個人の、可能な範囲内」で、結構ですので、
このことを、意識してみてください。

もう一つは、
手を前に動かすときに、
できるだけ、ゆっくりと動かしてみてください。
 「ハートの位置から、肘が伸びきるまで」
の動作を、
10秒を目安に、
ゆっくり、意識をその『手』に向け続けながら、
行ってみてください。

ゆっくり動かすほど、そこに意識を向けられますので、
その分、しっかりと浄化ができます。
これ、津留さんの言っていたことです。

どうぞ、ご参考になさってみてください。