2017年7月4日火曜日

「『人間』をするぞ!」


 前回の記事の後半では
 ( 「自分」の中の『闇・陰』を認める )、
 
  『自分』というのは、
  
  『人間(そのもの)』ではなく、
  『肉体(そのもの)』でもなく、
  
  『人間』『肉体』に入り込んで、
  『人間』としての体験をしている存在
 
 と、認識していただくことを、お薦めする、
 いうことを、お伝えしました。
 
 
 『自分』というものを、
 『人間』『肉体』と認識していると、
 
 そこに存在・付随している、
  「性格」「自我・エゴ」「ブロック」
  『闇』『陰』
  「『愛』とは感じられないもの」「『愛』とはほど遠いもの」
 といったものを、
 
 どうしても、
 『自分自身』『自分そのもの』(の一部)として、感じてしまい、
 
 その結果、
 どうしても、
 「自分を責める」ことになるし、
 「自分をダメな存在だ」とみなすことになるし、
 
 どうしても、
 「それら(エゴ・ブロック・闇など)を手放すことなどできない」と感じがちになる、
 
 からです。
 
 
 でも、私たちは、
 これまで、普通、
 
 自分自身のことを、
 「『人間』だ」と、
 「『肉体』こそが、自分だ」と、
 認識してきています。
 
 無意識のうちに、
 当然のものとして、
 
 そう、思ってしまっています。
 
 それを、
 そうではなく、
 
 自分自身は、
 「『人間』『肉体』に入り込んでいる存在」だと、
 「『人間』としての体験をしている存在」だと、
 認識するためには、
 
 そう、気づいている頻度を増やし、
 そう、気づいている時間を延ばし、
 そう、認識していることを癖にする、習慣付けることが、
 できると、いいです。
 
 
 そうするために、
 僕自身が、やっている、
 お薦めの工夫・テクニックがあります。
 
 それは、
 
 朝、目覚めたときに、
 布団から、起き上がるときに、
 
  「よし、今日も、『人間』をするぞ!」
  「さあ、今日も、『ひで』をするぞ!」
  と、宣言をする
 
 というものです。
 
 そう宣言すると、
 
 『自分自身』は、
 『本質としての自分』は、
 「『自分』の意識の中心」は、
 
 「『人間』をしている存在」であり、
 「『ひで』をしている意識」であり、
 
 決して、
 『自分』は、
 
 「『人間』そのもの」ではなく、
 あるいは、
 「『ひで』そのもの」ではない、
 
 と、
 認識し易くなります。
  
 「意識的に」「自発的に」、
 『自分』というのは、
 
  いま、「『人間』をしている存在」だ
 と、
 
 気づいて居易くなります。
 受け取り易くなります。
 認識し易くなります。
 自覚し易くなります。
 
 
 人によっては、
 
  「よし、今日も、『自分』という『モビルスール』に乗り込むぞ!」
 とか、
  「よし、今日も、『自分』という『アバター』と接続するぞ!」
 とか、のほうが、
 
 ピッタリする、スッキリする、イメージが湧く、
 という方も、いるかもしれません。
 
 ご自分にとって、一番しっくりくる言葉・表現を、探し、
 そして、それを、ご自分に掛けてみてください。
 
 ご自分に掛けることを、習慣づけてみてください。
 
 
 そして、もちろん、
 これは、朝だけに限ったものでは、ありません。
 
 気づいたときには、いつでも、
 ご自分に、掛けてみてください。
 
 
 僕にとっては、
 とても、効果がある、方法・テクニックなので、
 ご紹介しました。
 
 よろしければ、
 やってみてください。











2017年7月1日土曜日

「自分」の中の『闇・陰』を認める


 先月の、個人セッションの中で、
 こんな会話が、ありました。
 
  「津留さんが、
   『他人の中の光を見てください』
   って、おっしゃってましたけど、
   
   私、
   他人の中に、『光』が見られないんです。
   他人の中に、『光』が感じられないんです。
   
   どうしたら、
   他人の中に、『光』が見られるようになりますか?」
 
 その方は、
 少し、涙ぐみながら、
 
 そう、おっしゃってました。
 そう、訴えてらっしゃいました。
 
 こころ優しい方なので、
 他人を、『光』と、『愛そのもの』と、
 見ることができないことに、
 苦しんでいらっしゃいました。
 
 他人に対して、
 ネガティヴな感情が湧いてしまう、
 そんなご自分を、
 ひどく、責めていらっしゃいました。
 
 
 同じように、感じてらっしゃる方は、
 同じような疑問を、お持ちの方は、
 
 少なからず、いらっしゃることと、思います。
 
 今回は、
 これを、話題としましょう。
 
 
 そして、今回は、
 珍しく ^^ 、「結論」から行きましょう。
 
 
  「他人の中に、『光』が見られない」
 のは、
 なぜでしょう?
 どうしてでしょう?
 
 それは、
  「『自分』の中に、『光』が見られない」から
 です。
 
  「『自分』の中に、ちゃんとある、『光』たるものを、
   ちゃんと、認識できていない・認められていない」から
 です。
 
 「パラドックス」ですねぇ ^^
 
 
 では、
 
  「『自分』の中に、『光』が見られない」
 のは、
 なぜでしょう?
 どうしてでしょう?
 
 それは、
  「『自分』の中の、『闇』『陰』を、認めていない」から
 です。
 
  「『自分』の中に、やはり、存在してしまっている、『闇』『陰』を、
   ちゃんと、認めていない」から
 です。
 
 これまた、
 そして、さらに、
 「パラドックス」ですねぇ!
 
 
 もし、
 この部分をお読みになって、
 ピンと来られた方は、
 
 ぜひ、
 少し、時間を取って、
 
 「『自分』の中の、『闇』『陰』を、認めて」みてください。
 「『自分』の中の、『闇』『陰』を、感じて」あげてください。
 
 きっと、
 実り多い、素晴らしい時間を、
 過ごされることでしょう。
 
 実り多い、素晴らしい体験を、
 されることでしょう。
 
 
 先の、個人セッションでも、
 そう、お伝えすると、
 
  「『自分』の中の『闇』を、見つめます」
 とおっしゃって、
 
 しばらく、それを見つめ・意識を向けて、
 浄化をなさり、
 
 そして、その後、
  「見つめてあげたら、
   『闇』が、喜んでいるのが、感じられます!」
 と、
 
 こちらの、想定・想像を、はるかに上回る、
 驚くべき、素晴らしいご返答を、くださいました。
 
 驚くべき、素晴らしい『浄化』を、
 なさっておいででした。
 
 
 で、
 話を続けましょう。
 
 では、

  「『自分』の中の、『闇』『陰』を、認められない」
 のは、
 なぜでしょう?
 どうしてでしょう?
 
 それは、
 
  「『自分』の中の、『闇』『陰』を、
   良くないもの・いけないもの・あってはならないもの、
   と、認識している」から
 ですね。
 
 これは、
 かなり単純な構造なので、
 お分かりいただけやすいと思います。
 
 
 『闇』を、『陰』を、
 「ネガティヴなもの」を、
 
 「良くないもの」と、
 「いけないもの」と、
 「あってはならないもの」と、
 
 想っているから、
 認識しているから、
 
 それが、「『自分』の中に在る」ということを、
 認められないわけです。
 
 否定しているものが、
 「『他人』の中に在る」としても、
 なかなか、認められないものを、
 
 それが、
 「『自分』の中に在る」なんて、
 もっと、認められないわけです。
 
 そんなこと、
 許せないわけです。
 
 そんなこと、
 「あってはならない」わけです。
 
 「あってはならない」わけですから、
 そんなものが、「在る」なんて、
 認められないわけです。
 
 
 そして、
 さらに、話を続けましょう。
 
 では、
  「『自分』の中に在る」と認められない
 のは、
 なぜでしょう?
 どうしてでしょう?
 
 それは、
 僕が思うには、
 
  「 " 自分 " を、『自分』だと、思っている・認識している」から
 です。
 
 ちょっと、
 「禅問答」のように、なってしまいましたが、
 
 でも、こここそ、今回お伝えしたいポイントなので、
 ぜひ、このまま、お付き合いください。
 
 
 さきほど、
   「『他人』の中に在る」としても、
    なかなか、認められない
 と、言いました。
 
 それが、『他人』の中に在っても、
 それは嫌、なのですが、
 
 でも、嫌だけど、
 「『他人』の中」ならば、
 どうにか、こうにか、認められるわけです。
 
 なぜなら、
 それは、
  「『他人』の中」
 だから。
 
 つまり、
 『陰』が存在している場所が、
 『闇』を有している人が、
 『他人』だから。
 
 
 ですが、それが、
 「『自分』の中」ならば、
 それは、もう、認められません。
 
 それは、
 『陰』が存在している場所が、
 『闇』を有している人が、
 『自分』だから。
 
 ですよね。
 
 
 つまり、
 『他人』と『自分』が、
 ここでは、違っていますね。
 
 もし、
  「『他人』と『自分』は、違って、当然じゃないか」
 というご指摘が、ここであれば、
 ここでは、そのとおりですし、
 
 また、
  「『他人』は居ない。『自分』と『他人』は、同じ」
 ということが、
 ここで、言いたいこと、では、ありません。
 
 ここで言いたいことのポイントは、
  『他人』か、どうか
 ではなく、
 
   " 自分 " は、『自分』か?
 
 という点です。
 
 言いたいのは、
  「『陰』が存在している場所を、
   『闇』を有している人を、
   『自分』だと、思っているかもしれませんが、
   
   それは、そうですか?
   そうではないのでは、ありませんか? 」
 ということです。
 
 
 『陰』が存在している場所は、
 実は、
 " あなた " という存在の、『肉体』の部分です。
 
 『闇』を有しているのは、
 実は、
 『あなた』の『肉体』であり、
 あるいは、
 『あなた』が、今やっている、『人間』の部分です。
 
 つまり、
 いま、ここで、僕が言いたいのは、
 
 『あなた』というのは、
  表現をかえれば、
  「本当の『あなた』」は、
 
 『人間』の『肉体』の中に入って、
 「『人間』をしている存在」であり、
 
 決して、
 「『肉体』そのもの」では、ないし、
 「『人間』そのもの」でも、ない、
 ということです。
 
 そして、
 『闇』とよばれるもの、
 『陰』とよばれるもの、
 
 あるいは、それだけでなく、
 「性格」「思考」「自我」「ブロック」
 それら、すべて、は、
 
 いま、『あなた』が、
 「その『人間』」としての体験をするために、
 入り込んでいる、成っている、借りている、
 『肉体』部分に、『人間』部分に、存在しているもの、であり、
 
 それらは、
 決して、
  『あなたそのもの』では、ない
 ということです。
 
 
 わたしたちは、
 『人間』をするために、
 『人間』を体験するために、
 それらを、かりそめに、一時的に、身にまとっている、
 そんな存在です。
 
 津留さんが、
 『観察者』と言っていたり、
 『感じる自分』と言っていたのは、
 
 まさに、
 そんな『自分』です。
 
 
 これまで、普段、
 特段、意識しない場合に、
 私たちが、認識してきた " 自分 " は、
 
 「『人間』としての自分」や、
 「纏(まと)っている『肉体』としての自分」ですが、
 
 しかし、それは、
 本当の『自分』ではないし、
 本来の『自分』では、ありません。
 
 まず、そのことを、
 改めて、しっかりと、認識なさってみてください。
 
 そして、
 もし、「広い意味での自分」の中に、
 
 『闇』や『陰』や、
 「妬(ねた)み」や「嫉(そね)み」や、
 「怒り」や、「憤(いきどお)り」や、
 「『愛』とは感じられないもの」「『愛』とはほど遠いもの」が、
 あったとしても
 (それは、必ず、あるわけですが)、
 
 それは、
 『肉体』の部分に、『人間』の部分に、
 存在しているものであって、
 
 『本質としての自分』『そもそもの自分』『本来の自分』には、
 そのようなものは、存在していません。
 
 
 私たちは、
 『神さま』のままでは、体験できないことを、体験するために、
 『人間』になっている、存在です。
 
 『人間』として、
 『神さま』のままでは、体験できないことを、体験するためには、
 
 『闇』が、『陰』が、
 「妬み」が、「嫉み」が、
 「怒り」が、「憤り」が、
 「『愛』とは感じられないもの」が、
 「『愛』とはほど遠いもの」が、
 必要です。
 
 『神さま』のときの、私たちには、
 そのようなものが、ありませんでしたのでね。
 
 それらを有して、はじめて、
 私たちは、
 『神さま』のままでは、体験できない体験が、
 『人間』としての体験が、
 できるわけです。
 
 ですから、
 『人間』をしていれば、誰でも、
 それらは、有しているものであり、
 
 そして、それらは、
 『人間』としての部分に、『肉体』に、
 存在しているものです。
 
 そこを、
 『人間』部分・『肉体』を、
 「自分」と認識するのか、
 
 それとも、
 そこに入り込んでいる存在を、
 「自分」と認識するのか、
 
 いまいちど、
 検討してみてください。
 
 
 そして、
 もし、津留さんが言っているように、
 
 「そこに入り込んでいる存在」を、
 『自分』を、
 「自分」と認識するならば、
 
 『闇』も、『陰』も、
 「性格」も、「思考」も、「自我」も、「ブロック」も、
 それらは、すべて、
 
 自分 ではありません。
 
 
 例えるならば、
 それらは、すべて、
 あなたが着ている『服』に、付着しているものです。
 
 「人間世界」という、
 深い闇の世界を、覗き観るために、着込んだ、
 「潜水服」に装備されている、機能のようなものです。
 
 「人間世界」という、
 争い・分離に満ちた世界を、体験してみるために、搭乗した、
 『モビルスーツ(ガンダムの)』に装備されている、機能・武器のようなものです。
 
 「人間世界」という、
 『自分』のままでは体験できない世界を、体験するために、使用・操作している、
 『アバター』に組み込まれている、能力・性質のようなものです。
 
 
 ただ、
 これまでは、
 
 「それらを着込んでいる・搭乗している」と、
 認識していなかったし、
 
 それらの機能・武器・能力が、
 自動プログラムで、自分の意思とが関係なく、勝手に、稼働していたので、
 「自分でコントロールできるもの」という認識が、
 さらには、「自分で停止できるもの、取り除けるもの」という認識が、
 無かっただけです。
 
 それらは、
 必要があれば、停止できるし、
 望ましければ、取り除くことができます。
 
 そのことを、その事実を、
 いまいちど、ご認識なさってください。
 
 
 ただ、
 面白いもので、
 
 「使用したくて」「自ら望んで」装備したものなので、
 
 それを身に付けていることを、
 「肯定」した後のほうが、

 また、それらを、
 充分に使い込んであげた後のほうが、

 停止することも、取り除くことも、
 「『一般的には』、し易い」、という性質がありますけど ^^













2017年6月30日金曜日

8月26日『お金』浄化ワークショップ 開催のお知らせ


 第2回目の、「『お金』浄化ワークショップ」を、
 8月26日(土)に、開催します。
 
 
 おかげさまで、
 前回の、第1回目のワークショップは、
 ご好評いただきました(と、思っています ^^ )。
 
 そして、その体験から、
 「どの部分が、みなさんにとって、一人だと、気づき難いところなのか」
 「どの部分が、新鮮な気づきになるのか」
 「どうお伝えするのが、よいのか?」
 「どの部分を、深め、どの部分を、しつこくないようにしたらいいのか」
 など、
 主催側として、多くの気づきを得られました。
 
 そんな経験を生かし、
 そして、ご参加くださった方々からいただいた、
 ご感想やご意見などのフィードバックを受けて、
 
 ブラッシュアップした内容を、
 厳選しながらも、盛りだくさん、ご提供します。
 
 
 そして、今回からは、時間を延長し、
 午前と午後の、丸一日のワークショップとします。
 
 その分、
 
 浄化実践も、しっかりと、行っていただきます
 (浄化方法・ポイントをお伝えし、実践のお手伝いもします)。
 
 質疑応答の機会・時間も、ふんだんに、設けてあります
 (疑問や、質問がありましたら、この機会に、お尋ねください)。
 
 
 『お金』に関するブロックに気づき、それを浄化したい方、
 『お金』を通して、『自分』『仕事』『他人』『社会』『人生』をどうみなしているか、
 それに気づき、浄化していきたい方、
 『お金』を通して、『浄化』そのものを、より深く理解し、さらなる実践を行いたい方、
 
 そのようなみなさまのご参加を、お待ちしています。
 
 
 ワークショップ形式で、行いますので、
 その特徴として、
 
 複数の方々と、ともに学び、実践することで、
 お互いに、刺激することや、気づくことが、あると思います。
 
 また、多くの方々に共通する、項目・事項や、傾向などを、
 多数、お伝えしますので、
 「一般的」な部分を、かつ具体的に、知ることができると思います。 
 
 また、こちらからお伝えすることを、お聞きいただき、理解していただく形式なので、
 「自分の状況・悩みを、打ち明けるのには、抵抗がある」という方は、
 ご自分で理解し、進めて行くことができるならば、
 この、ワークショップ形式は、とても、有効な手段・方法であると思います。
 
 そのような点に、ご感心がおありな方には、
 魅力的な内容となっているのではないかと、思っています。
 
 よろしければ、ご参加をご検討なさってみてください。
 
 
 なお、
  「自分の状況・悩みを、具体的に聞いてもらい、特定的に浄化をしたい」
 という方の場合は、
 もしかしたら、個人セッションを受けていただいたほうが、良いかもしれません。
 
 ご参考になさってください。
 
 
 それでは、
 「『お金』浄化ワークショップ」でお会いできることを、楽しみにしています。


集合人編集局 裕子・ひで(2017年6月30日 記載)  



  詳細・お申し込みは、
  こちらの「 『お金』浄化ワークショップ 」(外部ページ)で お願いします。












2017年6月26日月曜日

他人の「イライラ」

 
 僕の、現在の、浄化の対象は、
 8割がた、「他人の『イライラ』」です。
 
 はじめのうちは、
 「お金のこと」「仕事のこと」
 そして、「蚊のこと」^^ が、ほとんどでした
 (「蚊のこと」については、よろしければ、こちら をご覧ください)。
 
 そのうち、
 それらの浄化が、
 少しずつ、進むにつれて、
 
 それらのことが、
 少しずつ、気にならなくなり、
 それほどには、重く感じられなくなり、
 
 かわって、
 現在、日々、とにかく、感じることは、
 「他人の『イライラ』」を、嫌がる感情・感覚です。
 
 
 他人が「イライラ」していると、
 とにかく、不快です。
 
 落ち着かず、
 あるいは、怖く、
 場合によっては、こちらがイラつきます。
 
 「怒っている人」や、「イライラしている人」のことを、
 好きな人、得意な人は、
 そもそも、あまりいないと思います。
 
 みなさん、総じて、
 好きではないし、嫌いだと思います。
 
 津留さんの場合も、そうで、
 そして、それが、
 『浄化』というものを理解し、生み出した、きっかけでした。
 
 
 みなさん、総じて、
 そういう人のことを、
 嫌いで、苦手で、
 
 なので、
  「では、どうして、嫌なのか・嫌いなのか?」
 については、
 あまり、考えたことも無いかもしれませんが、
 
 僕の場合、
 その、おもな理由は、
 
 他人が「イライラ」していると、
 
  「その原因は、自分にある」
  「自分が悪い」
 と、
 感じてしまうからです。
 
 
 僕の場合、今回の人生で、
 「イライラしている人」は、
 
 幼少期においては、
 主に、父でした。
 
 前述 しましたが、
 父は、周りの人々の犠牲で、
 仕方なく、働きづめでした。
 
 『犠牲者』でした。
 
 おそらく、そんな理由から、
 
 いつも、不満があり、
 いつも、イライラしていました。
 
 少なくとも、
 僕からは、そう、見えていました。
 
 
 その、父の不満の原因は、
 ときに、僕でした。
 
 なので、
 「イライラしている人」が居るとき、
 
  「その原因は、自分にある」
  「自分が悪い」
 と、
 感じます。
 
 
 また、多くの場合、
 不満の矛先は、
 母でした。
 
 なので、
 「イライラしている人」が居るとき、
 
  「自分が悪い」
 と、
 感じます。
 
 自分にとって、最も大切な母を、
 僕が、救えていないからです。
 
 僕が、守れていないからです。
 
 だから、
  「自分が悪い」
 と、
 感じます。
 
  「自分はダメだ」
 と、
 感じます。
 
 
 なので、
 「イライラしている人」が居るとき、
 その人を、
 放っておけません。
 
 そのままに、しておけません。
 
 「イライラ」しているままに、
 させてあげられません。
 
 なぜなら、
 「イライラしている人」が居る間中、
 
  「お前が悪い」
 と、
 言われ続けているからです。
 
  「自分はダメだ」
 と、
 言われ続けているからです。
 
 実際には、
 「イライラしている人」が、
 そのようなことを、言わなくても、
 
 そのようなことを、
 思ってすら、いなかったとしても、
 
 「実質的」には、
 「心情的」には、
 そう、言われているのと、同じだからです。 
 
 
 僕の場合、
 主に、以上のような理由で、
 「イライラしている人」が、
 苦手なのですが、
 
 ただ、そのことは、
 これまでに、すでに、認識できていました。
 
 なので、
 認識した上での、浄化を、
 これまでに、行ってきました。
 
 
 加えて、先週、
 新たに、
 別の「理由」があることを、発見しました。
 
 これまでの浄化の成果か、
 別の「想い」に、気づけました。
 
 
 自分の想いとしては、
  「その原因は、自分にある」
  「自分が悪い」
  と、感じる
 
 ということは、
 これまでと、同様なのですが、
 
 では、
  どうして、
  「その原因は、自分にある」
  「自分が悪い」
  と、感じるのか?
 
 に関しては、
 別の理由がありました。
 
 
 それは、
 気づいてみて、
 「気づいた自分が、驚いてしまう」ような理由、
 
 いえ、というよりも、
 むしろ、『理屈』だったのですが、
 
 それは、
 
  「その原因は、自分には無い」
  「自分は悪くない」
  と、
  認識してしまうと、
  捉えてしまうと、
  
  自分には、
  その状況を、変えることができなくなってしまうから
 
 というものでした。
 
 
 「その原因は、自分には無い」「自分は悪くない」
 と、認識してしまうと、
 
 「自分は悪くな」くて、
 「自分に原因が無い」ので、
 
 自分には、
 その状況を、変えることができなくなってしまいます。
 
 「自分には、その状況を変えることができない」
 と、
 自ら、認めてしまうことになります。
 
 自ら、宣言してしまうことになります。
 
 よね?
 
 だって、
 「自分は悪くな」くて、
 「自分に原因が無い」のですから。
 
 
 なので、
 実際のところは、
 自分が悪くなかろうが、非が無かろうが、
 
  「その状況を変えることができる」
 という『可能性』を持つために、
 
  「自分が悪い」
  「自分に原因がある」
 と、
 自分で思い込んでしまう、
 という行為を、
 
 無意識のうちに、
 自分の内側で、
 行っていました。
 
 その結果、
 自分が、より、痛むことになろうと、
 自分が、より、辛いことになろうと、
 
  「もしかしたら、状況を変えることができるかもしれない」
 という、
 論理的に考えたならば、「有り得ない『可能性』」を持つために、
 その可能性に縋(すが)るために、
 
 自ら、
  「自分が悪い」
  「自分に原因がある」
 と、
 無意識に、思い込んでいました。
 自ら、決め込んでいました。
 
 
 いまであれば、
 『浄化』というものを知っていて、
 
 内側・自分の感覚を変えてしまう、
 という、「対処方法」を、知っているので、
 
 いまであれば、
 そのように思い込むことなど、しないのではないか、
 と、思いますが
 (するかも、しれませんが ^^; )、
 
 そう思い込みはじめたときには、
 そうするしか、無かったんですね。
 
 そして、その習慣が、
 無意識のうちに、続いていたんですね。
 
 
  「自分にはどうにもできない」という " 絶望 " に比べれば、
  「自分が悪い」という " 痛み・辛さ " のほうが、まだまし
 
 そんな表現が適切な、
 そんな『理屈』によって、

  「自分が悪い」
 という決めつけ・思い込みを、
 自ら、取り入れ、引き込み、
 
 そして、
 自ら、痛み、苦しんでいたことに、気づきました。
 
 しかも、それは、
 そもそも、見当違いな思い込みなので、
 それが、外部から解消されることは、ありません。
 
 なので、
 その痛み、苦しみは、
 際限なく、長続きします。
 存続し続けます。
 
 自分が、止めない限り ...
 
 とても辛い、自己仕打ちでした。
 
 
 でも、
 
  「いや、『自分が悪い』のでは、なかったんだ。
   そう、思い込んでいただけだったんだ。
   自分は、悪くなかったんだ!」
 
 そう、気づいたとき、
 そう、こころから思えたとき、
 
 「他人の『イライラ』」に対する感覚が、
 少し、
 いえ、ずいぶん、小さくなっていました。
 
 
 そして、
 なにより、
 
 そう、気づいたとき、
 そう、こころから思えたときに、

 こころの底から、じわじわと、湧き上がった、
 安堵感、開放感。
 自己肯定感 ...
 
  「そうかぁ、
   これを、この感覚を、感じるために、
   長い長い間、わざわざ、自ら、
   自己否定をしていたんだな」
 
 この週末は、
 これまでとは、また、ひと味違った、
 特別な感覚に、浸っていました。












2017年5月26日金曜日

慣れる・飽きる



 以前、個人セッションに来てくださった方から、
 お聞きした話です。
 
 
 その方が、
 お仕事の後、美容院に行かれて、
 遅い時間に、電車に乗っていた時のことです。
 
 仕事で疲れていたし、夜も遅くなってしまい、
 電車の中では、
 うとうとと、眠ってしまっていたのだそうです。
 
 そして、ある瞬間、
 「違和感」に、
 ふと、目を覚まします。
 
 周りに、人の気配が、無くなっていました。
 
 東京の、夜の電車。
 「ぎゅうぎゅうの満員」では、なかったとしても、
 基本的には、混んでいます。
 
 その日、電車に乗った時も、
 車内は、かなり混雑していました。
 
 ところが、気がつくと、
 自分の周りには、人が居ません。
 
 不思議に思いながら、
 周りを見回すと、
 
 自分の車両には、
 乗客は、自分を含めて、3人ほど。
 
 ところが、
 両隣の車両は、混み合っていて、
 きっちりと、人々が、乗っています。
 
 その段階で、初めて、
 「自分の乗った車両」に、異常があると、認識し、
 
 そこで、
 自分の車両の異常を、探し始めます。
 
 そして、
 探すことによって、初めて、
 自分の車両の異常の原因に、気づきます。
 
 車内には、
 大きな、「大便」が、あったのでした!
 
 
 実は、その方は、
 「訪問介護のヘルパーさん」をされている方で、
 
 普段から、介護の場面で、
 他人の「大便」を扱うことに、慣れていらっしゃいます。
 
 なので、その時も、
  「そういえば、臭うな」
 といった感じで、
 
 「車内の、『大便の臭い』」よりも、
 「車内の、『人が居ない気配』」に、
 先に、違和感を感じ、
 
 「大便の存在」「大便の臭い」に関しては、
 探して初めて、気づいたのでした。
 
 その方曰く、
  「普段の仕事中なんかは、
   便を、顔に引っ掛けられてしまうことがあって、
   
   そんなときには、事務所に戻ってから、同僚と、
   『飛びウ○コ、引っ掛けられちゃった』
   『私もよ』って、
   笑いながら、話し合うのよ」
 なのだ、そうです。
 
 
 その日、その車内に、「便」があったのは、
 その方の、推測では、
 おそらく、酔っぱらいが、我慢できず、してしまったのだろう、
 との、ことでしたが、
 
 事の真相は、ともあれ、
 「大便のある車内で、平然と寝ていた」という、
 その逸話に、
 
 僕は、とても感心してしまいました。
 
 さらには、
  「他の車両は、人が一杯なのに、
   自分の居る車両は、がら空きで、
   ラッキー! って思って、
   結局、降りるまで、そのまま、そこで寝てました ^^ 」
 という、
 その後の対応に、
 
 僕は、純粋に、驚嘆してしまいました。
 
 
 いま、ご紹介したお話を、お読みになって、
 みなさんは、どのようなご感想を持たれましたか?
 
 僕は、
  「人(人間)は、
   大便にすら、
   『慣れる』ことができるんだなぁ」
 と、
 すごく、驚嘆・感激しました。
 
 僕の認識からすると、
 「(他人の)大便」は、
 生理的に嫌なものの、代表です。
 
 僕の感覚では、
 「大便の臭い」は、
 生理的・本能的に、耐えられないものの、代表です。
 
 家の中で、家族が付けた、
 便器の汚れを掃除するのも、嫌なのに
 (ただ、これは、「嫌」だけど、できます)、
 
 こどもの便の臭いで立ちこめている、
 家のトイレに入るのも、嫌なのに
 (こちらは、臭いが収まるまで、待ちます ^^; )、
 
 全くの他人の、便の臭いが立ちこめている『密室』^^ で、
 寝ていられること、
 仕事上とはいえ、他人の便を、しかも顔に付けられても、
 それを、笑い話にできること、
 
 そのことに、
 純粋に、感激しました。
 
 そう成れている方を、
 純粋に、尊敬しました。
 
 そして、
 人の能力・性質を、
 また一つ、具体的に、知ることができたことが、
 深い喜びとなりました。
 
 
  「美女は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」
 
 という、慣用句、
 ご存知の方、お聞きになったことがある方も、
 多いことと思います。
 
 念のため、確認しておくと、
 これは、女性を卑下しているものでは、ありません。
 
 ネットで検索してみると、
  「ハンサムは三日で飽きる ... 」
 という文言も、出てきていて、
 
 これは、
 「『女性』だから」とか、
 「『男性』だから」とか、
 そういうことでは、ありません。
 
 そこに、
 この慣用句のポイントは、ありません。
 
 ここでも、この記事においても、
 そこには、ポイントは、ありません。
 
 ここで、言いたいのは、確認したいのは、
 
  「人は、
   ネガティヴなことにも、『慣れ』ていくものだし、
   ポジティヴなことでも、『飽き』ていくものだ」
 
 ということです。
 
 
 先にご紹介した、
 「電車の中の大便」の逸話は、
 
 「大便」という、
 ある種、「『ネガティヴ』の頂点」であっても、
 
 人は、慣れてしまうことが可能なことを、
 実例として、ご紹介したわけです。
 
 そして、
 それとは反対に、
 「『ポジティヴ』なこと」であっても、
 
 わたしたちは、
 飽きていきますよね。
 
 あれだけ欲しかった、
 おもちゃ・服・バッグ・宝石・車・家だって、
 
 あれだけ望んだ、
 仕事・会社・資格・学校だって、
 
 あれだけ好きだった、
 彼・彼女だって、
 
 手に入れられたときは、
 はじめは、
 嬉しかったけど、
 
 そのうちに、
 飽きてしまいましたよね。
 
 「普通」に、なりましたよね。
 
 『人間』というのは、
 そういう生き物であり、
 そういう、存在、なんですねぇ。

 
 嬉しい気持ちであれ、
 嫌な気持ちであれ、
 
 わたしたちは、
 それを、感じていると、味わっていると、
 
 だんだんと、
 その感覚を、感じなくなっていきます。
 
 「嬉しい・ポジティヴな感覚」を感じなくなっていくことを、
 わたしたちは、『飽きる』と言い、
 
 「嫌な・ネガティヴな感覚」を感じなくなっていくことを、
 わたしたちは、『慣れる』と言っていますが、
 
 どちらも、
 基本的には、同じことであり、
 同じ仕組みが働いた結果です。
 
 
 わたしたちは、
 感情・感覚を、
 しっかりと、意識を向けて、感じていると、
 
 最初は、瞬間、
 その感覚が、増大したようにも、感じられますが、
 
 そのまま、意識を向け続け、感じ続けていると、
 だんだんと、その感覚は、弱まり、細まり、軽くなり、
 そのうちに、ふっと、消えてなくなっていきます。
 
 これが、
 「感じる・感じ尽くす」ということであり、
 これが、
 浄化の、一番基本的な方法です。
 
 
 何かに『飽きる』とき、『慣れる』とき、
 わたしたちは、
 体験を通じて、
 「無意識」のうちに、
 そして、すこしずつ、時間をかけて、
 この、「感じる・感じ尽くす」という行為を、
 行っています。
 
 その結果、
 その気持ちに『飽き』、
 その感覚に『慣れ』ていきます。
 
 それらを、(あまり)感じなくなっていきます。
 
 『浄化』というのは、
 それを、
 体験を伴っていなくても、
 『意識的』に、『意図的』に、『積極的』に、
 「短い時間」で、
 行っていく行為です。
 
 それによって、
 その「気持ち」を、「感情」を、「感覚」を、
 感じること、体験することを、
 積極的に、終わらせていく行為です。
 
 
 自然に、流れに、『エゴ』に、任せていても、
 体験していれば、
 いずれ、どんな感覚も、
 『慣れ』『飽き』ていきます。
 
 感じなくなっていきます。
 終わっていきます。
 
 それも、一つの道です。
 
 ですが、
 放っておいても、
 無くなっていくもの、終わっていくものですから、
 
 それを、意識的に、積極的に、
 無くしていっても、終わらせていっても、
 
 もちろん、それは、
 消えていきます。
 
 それも、一つの道です。
 
 それらには、ただ単に、
 「遅いか、早いか」の違いしか、ありません。
 
 ただ、
 
 「いずれ、終わっていくもの」であれば、
 そして、
 それを、「充分に体験した」と思われるのであれば、
 
 自ら、積極的に、終わらせていっても、
 いいのではないでしょうか?
 
 それが、
 僕が、個人的に、
 『浄化』に対して、有しているスタンスです。
 
 
 何かに『慣れた』ご経験がおありなら、
 何かに『飽きた』ご経験がおありなら、
 
 きっと、『浄化』は、お出来になります。
 
 もし、ご自分も、
 「終わらせていこう」と、お思いならば、
 
 「これについては、終わらせてもいいのでは」と、
 お思いになることが、おありなら、
 
 ぜひ、
 『浄化』を、考慮なさってみてください。
 
 きっと、
 思いの外、すんなりと、
 楽になられたことに、驚かれることでしょう。
 
  
 『慣れる』『飽きる』という性質・能力は、
 『人間』にとっての本質なんだと、
 僕は、認識しています。












2017年5月21日日曜日

第4回名古屋イベント 開催のお知らせ


2017年8月4日(金)、5日(土)、6日(日)、
名古屋市で、
『津留さん交流会』『個人セッション』を行います。


名古屋で、4回目となるイベントを、
真夏の8月に、行います。

前回の、名古屋でのイベントから、
1年以上が、経ってしまいました。

そこで、今回は、
個人セッションを中心にし、枠を多く設けて、
より多くのみなさまの、浄化のお手伝いをさせていただけたら、
と、思っています。

津留さん交流会も、開催します。
真夏の暑い時期ですが、
熱く語っても良し、クールに話しても良し ^^ 、
楽しく、ひと時を、ご一緒しましょう。

名古屋・愛知のみなさま、東海地区のみなさまに、
お会いできること、楽しみにしています。

どうぞよろしくお願いします。


 詳細・お申し込みは、『 第4回 名古屋イベント 』 のページをご覧ください。

2017年5月21日 集合人編集局 裕子・ひで  













2017年5月5日金曜日

『お金』浄化ワークショップ 開催のお知らせ


 『お金』に関するブロックを見つけ、浄化する、
 「浄化ワークショップ」 を、
 2017年6月10日(土)午後に 開催いたします。

 
 新しい形の、より実践的なイベントを、始めます!
 
 毎回、テーマを限定し、
 そのテーマに関して持っている『エネルギーブロック』に、
 徹底して、気づき、見つけ出し、
 そして、それを、実際に浄化していただく、ワークショップです。
 
 名付けて、『浄化ワークショップ』。
 
 
 毎回、テーマを特定し、限定することで、
 『エネルギーブロック』を、具体的に、あぶり出して行きます。
 
 その、『エネルギーブロック』を見つけ出す過程では、
 これまで、主催者である私たちが、
 自分自身の浄化を行ってきた経験、
 および、個人セッションで数百名の方々のお手伝いをさせていただいた経験、
 それらから、具体的に気づいてきた、幾多の項目や、傾向を、
 徹底して、みなさまにご提供し、
 そして、気づき・見つけるプロセスを、実際にお手伝いします。
 
 それによって、
 参加者、お一人お一人が、自分自身で、
 ご自分がお持ちの、『エネルギーブロック』に、
 具体的に、徹底して、気づき、見つけ出して作業をします。
 
 その結果、
 まず、第一義的に、
 ご自分がお持ちの『エネルギーブロック』を、
 具体的に、数多く、気づき、知ることができます。
 
 それとともに、第二義的には、
 ご自分の『エネルギーブロック』に気づいていくプロセスを、
 実際に、体験することで、
 このプロセスを、やり方を、よりよく理解することができます。
 
 それを、他のテーマにおける『エネルギーブロック』を探す際に、
 応用することもできます。
 
 その結果、
 『浄化』というものを、
 より具体的に、体験していただくことができ、
 より具体的に、ご理解していただくことができます。
 
 
 また、
 ご自分の『エネルギーブロック』に気づいた後は、
 それを、みなさんとご一緒に、
 私たちも、お手伝いさせていただきながら、
 実際に、浄化していただきます。
 
 自ら気づき、見つけ出したブロックを、
 実際に、浄化していただくことで、
 浄化の実感を得やすく、ポイントをつかんでいただきやすいです。
 
 もちろん、浄化のやり方や、方法、
 および、その際のコツやポイント、注意点などについては、
 これまで同様に、詳しく、しっかりと、お伝えいたします。
 
 その結果、
 『浄化』というものを、その後も、
 より容易に、実践していただくことができます。
 
 そんな、実践的な、ワークショップです。
 
 
 そして、
 初回の、今回のテーマは、
 ズバリ、『お金』。
 
 参加者のみなさん、お一人お一人が、
 『お金』に対して、具体的に、どのようなブロックを持っているか、を、
 ご一緒に、徹底して、探し、気づいていきましょう。
 
 そして、見つけ出した、気づいた、『お金』に対するブロックを、
 ご一緒に、浄化していきましょう。
  
 
 『浄化』に関しては、
 津留さんの 浄化に関する 本 『幸せテクニック』 を、
 テキストとします。
 
 事前に、浄化について、学んでいただくとともに、
 ワークショップ後にも、この本を見返していただくことで、
 浄化への理解をさらに深め、さらに実践を進めていただきやすくなります。
 
 どうぞ、ワークショップの前には、この本を読んで ご参加ください。

 まだ、この本を お持ちでない方 には、
 送料無料で、事前にお送りしますので、
 ワークショップお申し込みの際に、
 フォームの中で、
   購入(1,500円・送料込み)
 をご選択ください。
 
 
 なお、本ワークショップは、
  「お金を増やすこと」
  「お金を引き寄せること」
 を、主たる目的としたものではありません。
 
  「『お金』に対してニュートラルな状態になること」
  「『お金』のことが気にならない状態になること」
  「その状態に、少しずつ、着実に、近づいていくこと」
 を、目的としています。
 
 『お金』に対して持っていたブロックが浄化できれば、
 特に、『お金』に対する「恐れ」や「否定」、「制約」が手放せれば、
 
 結果として、経済的に豊かになる可能性は、飛躍的に高まるでしょう。
 
 しかし、それは、あくまでも「結果的に」「付随的に」であり、
 ここでは、それらを「主たる目的」とはしていません。
 
 仮に、金銭的に豊かにならなくても、
 精神的に、お金から自由になり、自由に近づき、
 精神的に、豊かになることは、可能です。
 
 本ワークショップは、そちらの方向性を、
 第一義的に、志向したものです。
 
 しかし、なおかつ、
 第二義的には、
  「副次的に、経済的に豊かになること」
 を、否定するものではありません。
 
 もちろん、金銭的に、経済的に、豊かになること『も』、
 とても素晴らしいことだと、認識しています。
 
 以上の点、どうぞご承知おきください。
 
 
 また、
 今回は、「初回」ということで、
 
 私たち主催側としても、
 不慣れであったり、
 やりながら気づいて行く内容が、多々あったりするかもしれません。
 
 また、時間に関しても、進行に関しても、
 初回ゆえに、バタバタとすることもあるかもしれませんし、
 そのために、念のため、トータル時間が少し短くなるように、内容を設定します。
  
 そこで、
 今回募集する参加者は、「初回モニター」させていただき、
 また、価格も、「初回モニター特別価格」とさせていただきます。
 
 以上の点も、ご承知おきの上、お申し込みください。
 どうぞよろしくお願いいたします。
 

 それでは、ワークショップでお会いできることを、
 楽しみにしています。
 
 ご一緒に、『お金』のブロックを浄化して、
 ご一緒に、『お金』に対してニュートラルに近づき、
 ご一緒に、『お金』から自由になる第一歩を、踏み出しましょう ^^/


集合人編集局 裕子・ひで(2017年5月5日 記載)



  詳細・お申し込みは、
  こちらの「 『お金』浄化ワークショップ 」(外部ページ)で お願いします。












2017年5月2日火曜日

『第6回大阪イベント』を終えて


 2017年4月28日(金)、29日(土)、30日(日)の3日間、
 大阪で6回目のイベントを、開催することができました。

 全日好天に恵まれ、連日夏日となった、
 若葉萌える、4月下旬の、大阪。
 
 浄化実践講習会に5名、
 津留さん交流会に10名、
 個人セッションに6名、
 計21名の方々に、ご参加いただきました。
 
 今回も、たくさんの方にお会いでき、
 たくさんの、学び多い、素晴らしいお話をお聞きでき、
 とても楽しく、とても嬉しかったです。
 
 個人セッションでは、
 これまで同様に、みなさんの浄化が素晴らしく、
 お手伝いできた充実感に、満たされました。
 
 交流会でも、素晴らしいお話をたくさん伺え、
 気づきを、たくさんいただけました。
 
 ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
 お会いできて、嬉しかったです。
 
 大阪には、また、伺うことになると思いますが、
 どうぞよろしくお願いします。
 また、みなさまにお会いできることを、楽しみにしています。
 
     集合人編集局 ひで


  イベントの様子につきましては、
  こちらの「『第6回大阪イベント』のご報告」のページをご覧ください。












2017年4月4日火曜日

2017ハワイ旅行11 ハワイ島6 天然の水槽 カポホ・タイドプール( Kapoho Tide Pools )


 ハワイ島での、第1泊を終え、
 ハワイ島で迎えた、はじめての朝。
 
 僕たちが泊まった、場所、
 ハワイ島のプナ( Puna )地区は、
 
 ハワイ島の、北東部分に位置し、
 
 北東方向から吹き付ける、貿易風の影響で、
 海からの風、海からの雲が、
 常に、流れて来ていました。
 
 この日の朝も、
 絶え間なく、雲が流れ着き、
 
 陽ざしは、
 降ったり、降らなかったり、を繰り返し、
 
 そのたびに、
 緑の濃さが、色が、
 ひっきりなしに、変わっていました。
 
 
 湿度は、
 この地区では、少し、感じられますが、
 
 絶え間なく吹く、
 穏やかな風の影響と、
 
 「初夏」くらいの、
 気温の影響とで、
 
 不快な感じは、
 まったく、受けません。
 
 
 ちなみに、
  「『常夏』の楽園、ハワイ」
 と、
 形容されることの多い、ハワイですが、
 
 気温的には、
  「『常初夏』の楽園、ハワイ」
 の方が、
 より正確、
 
 という文章を、
 目にしたことがあります。
 
 僕が体験したのが、
 ハワイの冬だった、ということも、
 多分に、あるとは、思いますが、
 
 僕も、
 『常初夏』というのは、
 とても適した表現だと、感じました。
 
 
 そして、
 もう一つ、「ちなみに」。
 
 ちなみに、
 湿度が、少々ある、
 この、プナ地区ですが、
 
 ところが、
 僕たちが泊まった宿にしても、
 
 その他の、
 僕たちが訪れた場所にしても、
 
 蚊が、
 いませんでした。
 
 そのことを、
 宿のオーナーにも、
 質問・確認したのですが、
 
 やはり、
 ほとんど、いないのだそうです。
 
 要因としては、
 基本的には、
 溶岩の上に、薄い土の層がある、地域なので、
 
 水はけが、とても良くて、
 「水溜り」というものが、あまり無く、
 
 それゆえに、
 あまり、蚊がいないのではないか、
 とのことでした。
 
 僕の推測とも、一致していたので、
 おそらく、そうなのだと思います。
 
 これまでに、
 何度も、書きましたとおり、
 (たとえば、過去記事『 蚊、再び 』)
 蚊が、大嫌いの、僕としては、
 
 ますます、
  「常初夏の『楽園』、ハワイ」
 という表現が、
 ピッタリに、感じられました。
 
 
 なお、
 さらにさらに、「ちなみに」に、なりますが、
 
 ハワイ島では(ハワイでは)、
 先の、アカカ滝 で、一度、
 この後の、ナアレフで、一度、
 
 計二度、
 蚊に刺されました ^^; 。
 
 どちらも、
 さほど、痒くなく、
 腫れ上がったりも、しなかったので、
 
 日本人には、
 ある程度、耐性があるというか、
 馴染みがあるというか、
 そういう種類の、蚊なのだと思いました。
 
 
 さあ、
 ハワイ島で迎えた、最初の朝。
 
 やはり、ラナイ(ベランダ)に出て、
 ハワイの空気を、風を、
 全身で、感じながら、
 
 採りたて・絞りたての、
 フレッシュ・オレンジジュースを、飲みながら、
 
 フルーツや、サラダ、パンで、
 朝食を済ませました。
 
 短パンに、半袖シャツで、
 身体全体で、ハワイ島の空気に浸り、
 
 身体の内側に、
 ハワイ島で採れたものを、いただき、
 
  「憧れの、ハワイ島に、来た」
 感が、
 じわりと、高まり、深まるのを、
 身体に、許していました。
 
 
 前日の移動が、観光が、少々、密で、
 遅くまで、寝ていたことと、
 
 今朝も、ゆったりと、過ごしたこととで、
 
 すでに、
 時刻は、10時近くに、なっていました。
 
 今回の旅行では、特に、
 すべてが、ゆっくりの行動に、なりました。
 
 「旅行」って、
 事前に、頭で、考え・計画したよりも、
 必ず、時間がかかりますね。
 
  「楽しい時間は、早く過ぎる」
 から、だし、
  「想定していなかったハプニングが、起きがち」
 だから、だし、
  「行ってはじめて、知ること・知る場所がある」
 から、だし、
  「旅先では、どんなことも、興味深い」
 から、だし、
 
 とにかく、
 ポイントを絞ること、
 優先順位をしっかり、付けておくこと、
 そんなことが、重要だと、
 改めて、思いました。
 
 
 で、
 その日の、午前中。
 
 「優先順位」としても、トップに入れていた、
 「ハワイ島の海で、泳ぐこと」を、
 まず、することにしました。
 
 この、プナ地区は、
 若いハワイ島の中でも、
 さらに、若く新しい地域の一つなので、
 
 ビーチは、
 「サンゴの白砂」では、ありません。
 
 溶岩が、固まったまま、か、
 その溶岩が砕けた、「黒砂( Black sand )」か、
 どちらか、です。
 
 その点は、
 いわゆる「楽園」とは、少し、イメージが違うかも。
 
 この、「『いわゆる』との相違」は、
 この地区に暮らす、ヤナさんの、本、
 『 ヤナの森の生活 』にも、
 話のポイントとして、出てくる、話題です。
 
 でも、
 その、ヤナさんをはじめ、
 多くの人々が、
 
 『地上の楽園』を体現すべく、
 積極的に、「肩の力を抜いた、ナチュラルな暮らし」を、
 実践されている場所で ^^ 、
 
 そういう空気・雰囲気に満ちた、
 とてもユニークな場所です。
 
 そんな『楽園』において、
 事前に調べた中でも、
 宿のオーナーに推薦された中でも、
 最も、美しそうな海に、行くことにしました。
 
 
 カポホ・タイドプール( Kapoho Tide Pools )は、
 その名のとおり、
 カポホという場所にある、
 タイドプール、「潮溜まり」です。
 
 波・潮の影響で、
 削られ、抉(えぐ)られた、溶岩の海岸が、
 プールのように、なっていて、
 
 そのおかげで、
 その中では、
 外洋の波を、大きく受けること無く、
 ゆっくり、安心して、泳ぐことができます。


 
 しかも、
 おそらく、この、冬の時期だったからでしょうが、
 
 海の水は、決して、暖かくはなく、
 けっこう、冷たいのですが、
 
 陽の光に照らされて、
 潮溜まりの水は、少しですが、温められています。
 
 子どもと一緒の、僕たちにとっては、
 泳ぐには、絶好の場所でした。
 
 ただ、そのおかげで、
 塩分は、すこし、濃くなっていました。
 
 
 また、
 小魚たちにとっても、
 大きな捕食魚から、逃れて、
 安心して、暮らせる、『楽園』なのでしょう、
 
 数多くの、種類多くの、
 熱帯魚たちが、たくさん、泳いでいました。
 
 まさに、
 「天然の、熱帯魚の水槽」といった、体で、
 
 その中で、魚たちと一緒に泳いでいると、
 「水中の『楽園』」だ、と、
 感じました。
 
 水は、
 「イメージどおり」の、
 透き通った、透明な、水です。
 
 「ハワイ」とはいえ、
 場所や、時期や、天候によって、
 いつでも、どこでも、
 「どこまでも、透明な水」とは、いかないようですが、
 
 ここは、まさに、イメージどおりの、
 透き通った、煌(きら)めく、水でした。

(上空からの様子)

 耐水性のカメラは、持ち合わせていた無かったので、
 手持ちの写真には、
 水中の様子を撮ったものが、ないのですが、
 
 下のリンク先の、そのページにある写真は、
 まさに、
 僕たちが、見たままの、体験したままの、感じです!
 
 そこで、僕たちは、
 ハワイで、一番の、
 最高の、海水浴を楽しみました。
 
 " Snorkeling Kapoho Tide Pools "
 
 ちなみに、
 この、リンク先のページでは、
 カポホ・タイドプールのことを、
  " Amazing Spot But Hard To Find " (素晴らしいけど、見つけ辛い)
 と、書いていますが、
 
 そんなことはないので、
 ご安心を ^^ 。
 
 
 カラパナ・カポホ・ロード( Kalapana Kapoho Road )と呼ばれる、
 ハワイ州道137号線を、
 南(カラパナ方面)から、北(カポホ方面)に進み、
 
 アハラヌイ( Ahalanui )を越えて、さらに進むと
 急に、樹々な無くなり、溶岩だらけになります。
 
 1960年の1月13日。
 
 人々が生活し、畑だった、この土地から、
 突如、噴火が起き、溶岩が流出しました。
 
 同年2月19日までの、約1ヶ月の間、
 それが、続きました。
 
 そのときの、流れ出た、溶岩です。
 
 わずか、57年前の、その、噴火の様子は、
 カラー映像で、記録されています。
 
 その様子を見ると、
 「ハワイ島」という場所が、
 「ハワイ島での暮らし」というものが、
 より、分かる気がしました。
 
 ご興味があれば、
 動画サイトで、検索なさってみてください。
 
 
 その、溶岩だらけの一帯を抜け、
 また、道の両サイドに、樹々が生えてきたら、
 
 すぐに、右側(東)に、道が現れます。
 " Kapoho Kai Street " です。
 
 その道に、入ってください。
 
 1kmほど進むと、
 無人ですが、ゲートが現れます。
 
 その先は、
 " Kapoho Vacationland " という、
 住宅地になっていて、
 
 本来は、
 そこの住人の方しか、先に進めません。
 
 ですが、
 そちらの方々のご好意で、ゲートが開放されていて、
 われわれ一般の人達も、
 タイドプールに、行くことができるようになっています。
 
 でも、
 車は、ここまで。
 
 ゲートの手前、道の横に、
 車を駐車してください。
 
 また、そのゲートで、
 " donation " (寄付)として、
 3ドル、支払ってください。
 
 あくまでも、「寄付」ですので、
 払うか払わないかは、
 本人次第です。
 
 ただ、
 「私有地」を、開放してくださっていて、
 
 徒歩とはいえ、
 そこを、通らせてもらいますので、
 その辺りを、ご勘案ください。
 
 
 車を停め、
 必要な荷物を持って、
 そこから、500m弱、道なりに進みます。
 
 道は、ナチュラルに、右に曲がっています。
 
 しばらくすると、行き止まり。
 そこを、左折、東方向に曲がります。
 
 そこには、看板も出ています。
 
 そのまま、
 さらに、150mほど進むと、
 海に出ます。
 
 そこに、タイドプールがあります。
 
 
 もう、とにかく、
 水が、きれいで、
 波に流されることも無く、安心して泳げて、
 魚たちが、とにかく、いっぱいです。
 
 人に、恐怖心が無いのでしょう、
 指先、10cmほどのところで、
 無心に、藻をついばむ、
 100匹超の、魚たちの群れに、
 大興奮しました!
 
 あぁ、もう一回、泳ぎたい!!
 
 
 元気な子どもたちは、
 終始、楽しげに泳いでいましたが、
 
 ただ、僕は、
 しばらく泳いでいると、寒くなってきました。
 
 また、裕子さんは、
 足をつけただけで、
 「寒いから、泳がない」と、言っていました。
 
 もし、行かれる方は、
 寒さ対策も、ご考慮されることを、お薦めします。
 
 でも、先に泳いでいた僕の、
  「でも、泳がないと、一生、後悔するよ。
   それくらい、素晴らしいよ!」
 の声に、
 
 意を決し、入水した裕子さんも、
 その後は、
 とても楽しそうに、とても満足げに、
 泳いでいました。
 
 
 しばらく、みなで、楽しく、大興奮で、
 泳いでいた後、
 突如、「それ」は、起こりました。
 
 まず、
 やはり、ハワイらしく、プナ地区らしく、
 風が、止めどなく、吹いていました。
 
 その風に煽(あお)られて、
 娘が使っていた浮き輪が、流されてしまいました。
 
 海水浴中は、
 風にも、どうぞご注意ください。
 
 
 そして、それを、
 みなで追いかけながら、移動しているときに、
 
 浅瀬に出た、息子が、
 立ち上がろうとして、
 足を滑らせてしまいました。
 
 砂浜ではなく、
 溶岩の上なので、
 普通の海水浴とは、
 まったく事情が違います。
 
 しかも、
 すべった足の、膝が、
 一瞬、溶岩に、触れてしまいました。
 
 すると、
 スパッと、皮膚が切れて、
 パカッと、傷口ができてしまいました。
 
 みなさんも、
 くれぐれも、ご注意ください。
 
 
 幸い、
 極めて鋭利に、切れたので、
 出血も少なく、
 手で押さえていれば、血が止まります。
 
 本人も、
 それほどの、強い痛みは、無いようでした。
 
 ただ、
 傷口は、パックリと、開いています。
 
 裕子さんと二人で、
 記憶していた、保険の内容を、確認し合い、
 
 まずは、病院に行こうと、
 急ぎ、海から、上がりました。
 
 
 僕が、車を取りに戻り、
 緊急事態なので、
 ゲートの中にも、入らせてもらって、
 タイドプール近くまで、迎えに戻りました。
 
 息子たちを、車に乗せ、
 荷物を、車に積み上げている時、
 
 横に植わっている、樹に、
 目が行きました。
 
 ノニでした。

(写真は、別の場所で撮った、ノニの、葉と花と実)

 そのとき、
 先の、『ヤナの森の生活』の中の、
 一節が、思い出されました。
 
 ヤナさんの、息子さんが、
 指がちぎれるような、大怪我をされたとき、
 
 周りの人々が、
 病院に行くことを薦める中、
 
 ノニの葉を巻いて、固定しておくことで、
 しばらくして、治ったのだそうです。
 
 ナチュラルな暮らしをされている、
 その子どもの、治癒力ゆえ、
 かも、しれませんが、
 
 その、思い出した逸話を、
 裕子さんに、話しました。
 
 裕子さんも、その話を思い出し、
 そして、ピンと来たところがあるらしく、
 
 方針転換、
 新鮮な、ノニの葉っぱを、
 一枚、その樹から頂戴して、
 
 すぐさま、
 息子の傷口に、貼付けました。
 
 
 僕の車を待っている間、
 ネットで、いくつかのことを、検索し、
 何度か、これまでにもしたことのある
 「湿潤療法」を、改めて調べて、
 
 その方針と、
 ノニの葉の効用とが、
 合致したようでした。
 
 病院行きは止め、
 急ぎ、宿に戻り、
 ノニの葉の上から、
 ラップを巻きました。
 
 その後、
 適した、粘着バンドを見つけ、
 ラップは、それに換え、

 ノニの葉も、
 その後は、省略しましたが、
 
 ハワイ島滞在中は、
 ずっと、それだけで、過ごしました。
 
 
 結果、
 この対処は、上手く行き、
 
 日本帰国後に、
 一度、医師に、
 簡単な処置をしてもらいましたが、
 
 おかげさまで、
 傷口も、綺麗に塞がり、
 すんなりと、治癒しました。
 
 とても、安心しました。
 
 
 この、
 息子の、
 「ハワイ島の海での怪我」に関しては、
 
 怪我当初、
 さまざまな「想い」が浮かび、
 さまざまな「ブロック」を、見つめさせられました。
 
  「ハワイ島到着早々、最初の海で、怪我をするなんて、
   ハワイ島に、ハワイ島の海に、拒否されているのではないだろうか?」
  「それは、われわれの『精神性』『レベル』が、低いからではないか?」
  「ということは、そもそも、来ては、いけなかったのではないか?」
  
  「病院に行ったら、いったい、いくら掛かるのか?」
  「本当に、ちゃんと、保険でカバーできるだろうか?」
  「緊急に帰国しなければ行けないなんてことに、ならないだろうか?」
  「そうなったら、『経済的』にも、『世間体的』にも、
   たいへんなことに、ならないだろうか?」
 
 とめどなく、浮かび上がってくる『恐れ』は、
 そのときの、僕の場合は、
 主として、先の二つ、
 
  『スピリチュアル的に、自分のレベルが、ダメなのではないか?』
 という、
 「『スピリチュアル的な、精神的な、レベルの、高低』というブロック」
 と、
 
 「『経済的』『金銭的』なブロック」
 に、
 
 集約されていました。











2017年4月3日月曜日

2017ハワイ旅行10 ハワイ島5 はじめての「バケーション・レンタル」


 今回の旅行では、
 はじめて、
 「バケーション・レンタル( Vacation Rental )」を、
 利用しました。
 
 
 「バケーション・レンタル」とは、
 日本では、あまり、聞きなじみの無い言葉ですね。
 
 日本語として、使われている用語だと、
 「貸別荘」が、近いのかもしれませんが、
 
  オーナーが、部屋・家などを使用しない期間、
  当該物件を、第三者へ貸出する、レンタルサービスのこと
 
 と、ネットを検索すると、出てきます。
 
  別荘として所有している家を、
  自分が使わない間、貸し出す
 
 というのが、
 もっとも典型的なもの、
 の、ようですが、
 
 一軒家にせよ、部屋にせよ、
 それらを、自分が使っていない期間、
 他人に、貸しに出す、
 
 という仕組みで、
 
 欧米では、ごく一般的、
 らしいです。
 
 
 その「用語」からは、
 僕は、
 
 ホテルや、モーテル、B&Bのような、
 「プロ」の、「専業」の、宿泊施設、
 ではなくて、
 
 「素人」の人が、「空いている時だけ」、
 「貸し出す」施設、
 というところに、
 その、特徴と共通点を、感じたのですが、
 
 ただ、
 いろいろと、サイトでの情報を見てみると、
 
 いろいろと、多数の物件を持っていて、
 「専業」で、「商売」として、
 されていると思われる方が、
 結構、見受けられたり、
 
 貸し出し専用に、物件を持っていて、
 ご自分は、近くか、同じ敷地に居て、
 その維持管理を、ご自分でされている方もいたり、して、
 
 そんな場合には、
 とくに、B&Bというものとの差異が、感じられない
 (「朝食( Breakfast )」が出ない、のは、大きく違いますが)、
 そんな感じも、受けました。
 
 なので、日本語で言うと、
 「貸別荘」という物件も、見受けられますが、
 「民宿」といった感じの物件も、多く、見られるようです。
 
 
 さて、
 僕たちが、今回、
 ハワイ島で、お借りして、お世話になった、
 バケーション・レンタルは、
 
 正に、後者の、
 「民宿」、といった感じで、
 
 オーナーは、
 同じ敷地に、常に居て、
 ご自分で、管理運営をされているタイプでした。
 
 また、
 『食事』こそ、出ないものの、
 
 借りた部屋の、リビングには、
 フルーツが、山盛りに、用意されていて、
 
 冷蔵庫には、
 パンや、バター、ミルク、
 さらには、ビールも、準備されていて、
 
 おまけに、
 エスプレッソ・メーカーと、
 それ専用のポッドも、びっしりと、置かれていて、
 
 それらは、すべて、
  「自由に食べてね」
 との、ことでした。
 
 さらにさらに、
 加えて、
 毎朝、庭でとれたオレンジを絞った、
 絞りたてのオレンジジュースを、
 ピッチャー一杯、持ってきてくださって、
 
 それが、
 もう、最高に、美味しかったです!
 
 そうなると、
 もう、実質的に、
 「朝食付きの民宿」ですね ^^ 。
 
 
 僕たちが、
 今回、お借りした部屋は、
 
 建物としても、
 貸し主さんと、同じ、建物で、
 
 2階に、貸し主さんが住んでいる、
 その、1階部分の、
 
 2ベッドルーム、
 キッチンとリビング、
 シャワーと洗面所、
 それに、大きなラナイ(バルコニー)、
 
 というものでした。
 
 
 そこは、
 敷地が、2エーカー、
 約2,400坪もあって、
 
 広々とした、
 芝生の庭を、大胆に、とっていて、
 
 リゾート感を感じられる、
 リラックスできる、空間でした。


 
 しかも、
 丘の上にあるので、
 
 作物を作るなどの、
 有効利用をするには、
 向かないのかも、しれませんが、
 
 でも、そのおかげで、
 海まで、少々距離があるのに、
 1階からも、海面が見下ろせました。


 
 
 ヤシや、バナナ、
 オレンジや、レモン、アボカドなど、
 樹々も、多数、植えられていて、
 
 さほど、深くはないようでしたが、
 しっかりと、「土」のある土地のようでした。
 
 溶岩があふれ出し、
 日々、新たな大地が作られている、
 誕生間もない島、ハワイ島では、
 
 「土」が有るか無いか、
 「土」が深いか浅いか、
 が、
 土地の価値としては、
 とても重要なようでした。
 
 
 朝は、全日、
 残念ながら、雲が多かったのですが、
 
 ですが、
 毎朝、ラナイに出て、
 
 そこで、絞りたてのオレンジジュース片手に、
 フルーツや、サラダや、パンを、
 朝食にいただきました。
 
 気温も、暑くなく、寒くなく、
 湿気も、さほど感じられず、
 心地よい風が、常に流れていて、
 静かで、
 
 とてもリラックスした、
 かつ、プライベート感も確保された、
 
 とても素晴らしい時間を、
 ここで、過ごすことができました。


 
 いま、思い出しても、
 もっとも良い思い出の一つで、
 もう一度体験したいことの、筆頭の一つです。
 
 
 この、バケーション・レンタルを出た後は、
 島の反対側で、2泊、しましたが、
 
 そこでは、
 ホテルに泊まりましたので、
 
 僕たちは、今回、ハワイ島では、
 ここでしか、利用していないのですが、
 
 その、限られた経験ではあっても、
 バケーション・レンタルを、満喫できました。
 
 興味がある方には、
 お薦めのシステムです。