2017年1月1日日曜日

2017年 あけましておめでとうございます


 あけましておめでとうございます。
 
 2017年が、
 みなさまにとりまして、
 幸多き一年となりますことを、
 お祈りいたします。
 
 
 2017年元旦。
 
 快晴で、
 風もなく、
 さほども寒くもなく、
 
 とても穏やかな陽気で、
 この一年が、始まりました。
 
 
 2016年大晦日も、
 同じように、
 穏やかな一日でした。
 
 
 個人的な認識ですが、
 個人的な体験の話ですが、
 
 2016年までで、
 「『二極の体験』がメイン」である期間が終了し、

 2017年からは、
 「『創造・構築』がメイン」の期間に入ったような、
 
 そんな気がしています。
 
 
 2016年末は、
 「旧いもの、不要なものを、処分し、手放し、
  新たなものと、入れ替える」
 ということが、
 自然な流れで、
 起きて来ました。
 
 2017年も、
 その流れが進み、
 『新たな状態』への移行が、加速する、
 そんな気がしています。
 
 そうしていこうという、
 気でいます。
 
 
 この、元日と大晦日の、天候が、
 なにか、それを、
 後押ししてくれているような、
 承認してくれているような、
 
 そんな気になりました。
 
 
 この一年も、
 どうぞよろしくお願いします。
 
 
 みなさま、
 素敵な一年をお過ごしください。











2016年12月30日金曜日

2016アメリカ旅行32(終) 旅の終わり


 タマルパイス山での、
 最高のランチを終え、
 
 今回の、アメリカ旅行が、
 一段落したことを、
 「実質的に」終わったことを、
 認識しました。
 
 後は、
 「三次元的」な、
 「家族でのアメリカ旅行」を、
 楽しみました。
 
 
 タマルパイス山を下りると、
 さっそく、雲の下に入り、
 
 その直後には、
 ゴールデンゲートブリッジを渡りました。


 
 橋を渡り終わると、
 サンフランシスコです。
 
 その道を、そのまま直進すると、
 「世界一急な坂」と、一般に言われている、
 有名な坂( Lombert Street )に入ります。
 
 この写真は、
 その坂に入る、反対側(上り)ですが、


 
 混んでいて、少しずつしか進めず、
 オートマなのに、
 坂道発進が、怖くて、たいへんなほどの、傾斜でした。
 
 くねくねとした、「世界一急な坂」を、
 車で、走りおりました。


(資料画像)

 
 その後には、
 僕が、行ってみたかったところに、行きました。
 
 はじめて、ニュージーランドに行ったのは、
 基本的には、「英語の勉強」でしたが、
 
 その前に、日本での、そのための準備として、
 英語のリスニングを鍛えるために、していたのが、
 
 当時、NHK教育テレビで放送されていた、
 「フルハウス」を、繰り返し観ることでした。
 
 当時は、ビデオデッキ(!)で、録画をして、
 それを、普通に観た後に、
 「副音声」の英語に切り替えて、
 何度も観ていました。
 
 そんな関係で、
 サンフランシスコには、親近感があり、
 とくに、
 オープニングで流れていた、
 ビクトリア様式の家が並ぶ公園には、
 ぜひ、行ってみたいと思っていました。

(ここですね!)

 その公園は、
 アラモ・スクエア( Alamo Square )。
 
 さきほどの坂からも、
 さほど遠くないところにありました。
 
 残念ながら、
 工事中で、
 公園内部には入れませんでしたので、
 「イメージそのもの」の光景は、
 目にすることが、できませんでしたが、
 
 なんとなく、記憶していたとおりに、
 家が建ち並んでいて、
 それを目にして、
 一人、ご満悦でした ^^; 。


 
 
 そのあとには、
 すぐに、高速道路に乗って、
 再び、一路、南下。
 
 その日の宿泊地、
 モントレー( Monterey )に向かいました。
 
 道中は、再び、雲が晴れ、
 美しい青空と夕空の下を、
 快調に、進んでいきました。
 
 それでも、到着したときには、
 すでに、夜になっていて、
 この日は、簡単に食事を済ませて、
 就寝。
 
 いつもながらの、ロングドライブで、
 みな、倒れ込むように、寝入りました。
 
 
 翌朝、
 眠い目をこすり、起き上がると、
 
 再び、
 厚い雲の下に入っていて、
 「薄ら寒い」くらいの、肌寒さでした。
 
 朝食は、
 外のテーブルで、食べましたが、
 火が焚かれていました。


 
 アメリカで、はじめて体験する、
 「暑くない」気温でした。
 
 
 モントレーに泊まったのには、
 訳がありました。
 
 ウエイン・ダイアーさんのビデオ、
 「ザ・シフト( The Shift )」を観たときに、
 そのロケ地である、
 「アジロマー・カンファレンス・グラウンド( Asilomar Conference Grounds )」に、
 とても惹かれていたからでした。
 
 そこに、ぜひ、行ってみてたいね、と、
 以前から、裕子さんと二人、よく、言っていました。
 
 あいにく、
 当日は、会議が開かれていて、
 宿泊することはできなかったのですが、
 
 すぐ隣のモーテルには、
 泊まることができて、
 
 念願だった場所を、
 訪問することができました。
 
 
 広い土地に、
 ナチュラルなデザインの建物が並び、




 
 そこを抜けると、
 白い砂浜の海岸に出ます。




 
 太平洋です。


 
 海の向こうは、
 日本なんだと、思いました。
 
 日本の、縁のある、外房の海岸を想い、
 そこと、こことを、
 結びつけるイメージをしました。
 
 そこから、
 さらに、南に線を延ばし、
 ニュージーランドの、縁のある、太平洋岸の海岸、
 マウント・マンガヌイ( Mount Maunganui )とも、
 結びつけて、
 
 三角形をイメージしました。
 
 続けて、
 
 マウントシャスタと、
 八ヶ岳と、
 ニュージーランド北島のトンガリロ山・ルアペフ山とを、
 
 やはり、
 三角形で結びつけるイメージをしました。
 
 その中に入る、
 ハワイも、意識しました。
 
 そして、
 それらの場所が、
 これまで以上に、より、
 結びつき、融合し、
 起動し、
 新たな、予定された状態へと移行していけるように、
 と、意図しました。
 
 そのお手伝いができるようにと、
 祈願しました。
 
 『レムリア』の再興復興を、
 イメージしました。
 
 
 モントレーは、
 湾から出たところが、
 すぐに、深海になっていて、
 
 日本で言えば、
 「富山湾」のような場所で、
 
 豊かな海と、
 豊富な海洋生物で、
 知られています。
 
 有名な水族館も、あります。
 
 残念ながら、
 一番期待していた、
 ラッコは、見られなかったのですが、
 
 アザラシたちは、
 すぐ間近に、
 くつろいだ姿を、見せてくれました。




 
 これまた有名な、
 フィッシャーマンズ・ワーフで、
 名物の「クラムチャウダー」を食べました。


 
 
 予定を大幅に過ぎ、
 モントレーを経ったのは、
 昼過ぎ。
 
 それでも、
 もう一カ所、
 
 すぐ南隣の、
 カーメル( Carmel-By-The-Sea )に、
 立ち寄りました。
 
 ここは、
 さらに、こじんまりとした、
 とても雰囲気のある、
 「海辺の村」といった規模ながら、
 
 とても洗練された店や、
 豪勢な別荘が、立ち並び、
 
 とても素敵な雰囲気の場所でした。
 
 ここにも、
 真っ白な砂浜の海岸があり、
 
 そこからは、
 モントレー側(北側)に、
 ペブルビーチ( Pebble Beach )ゴルフコースが見られ、


 
 反対側、
 南端には、
 フランクロイドライトのデザインした別荘が見られました。


 
 
 カーメルを離れ、
 ようやく、
 ロサンゼルスへ戻る帰路につきました。
 
 ただし、
 最短時間になるように、高速道路を通るのではなく、
 
 景色の良い、
 海岸沿いの道を、走りました。
 
 カリフォルニア州道1号線( CA-1 )は、
 日本のテレビCMでも、
 ロケ地として、何度も、使われたことがあるようで、
 
 期待に違わぬ、
 素晴らしい光景を、見せ続けてくれました。







 
 途中には、
 ゾウアザラシも見られ、


 この道のドライブは、素晴らしかったです。


 
 ただ、
 それゆえに、
 けっこう、混んでいて、
 
 思った以上に、
 時間がかかってしまいました。
 
 
 夕暮れ時になって、
 ようやく、
 サンタバーバラ( Santa Barbara ) にまで、たどり着き、


 
 ロサンゼルスに戻ったときには、
 やはり、
 すっかりと、夜になってしまっていましたが、
 
 お気に入りの、
 ホールフーズ・パサデナ店の、
 閉店時間には間に合い、
 
 夕飯やおみやげを買うことは、
 できました。
 
 ただ、
 この日も、また
 ロングドライブの後の、宿泊で、
 
 ホテルには、
 「ただ寝るだけ」になり、
 それが、残念でした。
 
 
 翌朝、
 アメリカ最終日。
 
 ホテルの朝食には、
 日本の「カップヌードル」があり、
 
 みな、
 もうすぐに、日本に戻ると分かっていながら、
 手を出さずに入られませんでした。
 
 アメリカで食べる、カップ麺は、
 まったく同じ味なはずなのに、
 とても美味しく感じました。
 
 
 空港に戻る途中で、
 ハリウッドに立ち寄り、
 観光客らしいこともしてみました。


 
 僕は、
 大好きな、ジョントラボルタの手形に、
 手を合わせました。


 
 
 空港近くで、
 レンタカーを返却したときには、
 
 トリップメーターは、
 3,122.5マイル、
 5,025キロメートルを、表示していました。


 
 僕たちにとっては、
 文字通りに、
 大旅行でした。
 
 
 ハリウッドを後にして、
 空港に戻る途中、
  「おがけさまで、無事に、過ごせた。
   これで、終了だ」
 と、
 感じる瞬間がありました。
 
 そのとき、
 目の前に、
 車が一台、横道から入り込んできました。
 
 視線が、
 自然と、
 その車の、ナンバープレートに、行きました。
 
 「虹の模様」とともに、
  「HAWAII」
 の文字が、見えました。
 
 ハワイ州の、
 ナンバープレートでした。
 
 日ごろから、
 虹を、
  「『OK』を意味するサイン」
 と、
 受け取っている僕には、
 
 今回の旅行全体が、
 それで良かったのだと、
 感じられました。
 
 そのとき、
 裕子さんが、
 つぶやきました。
 
  「次は、ハワイね」













2016年12月15日木曜日

2016アメリカ旅行31 サンフランシスコを前に


 マウントシャスタに、お別れを告げ、
 シャスタを後にした、
 僕たちは、
 
 一路、ひたすら、
 南に、下り続けました。
 
 
 当初の予定より、
 大幅に、遅れたことで、
 正直、すこし、焦っていましたが、 
 
 ストーニーブルックインでの、
 すさなさんへの、ご挨拶と、
 
 マクラウドでの、
 マウントシャスタへの、ご挨拶とで、
 
 すっかり、
 気持ちを、すっきりさせ、
 また、マウントシャスタへの想いを、
 ある程度、吹っ切ることができたので、
 
 焦りつつも、
 気持ちは、落ち着いていました。
 
 今日の行程を、
 じっくりと、楽しみ、味わう、
 準備ができていました。
 
 
 往きには、苦労した、登り坂も、
 スムースに、下り ^^; 、
 
 シャスタレイクを、渡り、
 レディングの町を、突き抜け、
 
 一路、快調に、
 南下し続けました。
 
 
 マウントシャスタは、
 バックミラー越しに、
 いつまでもいつまでも、見えていました。
 
 気持ちが、吹っ切れたことに、
 反比例するかのように、
 どこまでも、姿を現し続けてくれました。
 
 しかし、
 やがては、ミラーにも、映らなくなり、
 
 ようやく、意識は、
 完全に、前方に向かいました。
 
 
 この日も、変わらず、
 朝から、午前中から、
 強い陽射しと、確かな高温を、
 僕たちの世界に、顕現してくれていました。
 
 往きに通って、
 その先の様子が、分かっているにもかかわらず、
 
 「果たして、終わりがあるのだろうか?」と、
 思わず、思ってしまうほどの、
 広大な、農業地帯・穀倉地帯を、
 延々と、進み続け、
 
 ようやく、
 サクラメントまで、戻り着きました。
 
 でも、
 その手前で、トイレ休憩をしていたので、
 今回も、そのまま、通過。
 
 さらに、南下を続けます。
 そこから先は、
 はじめて通る道でした。
 
 
 その先も、
 「北カリフォルニア」が、
 さらにさらに、広がっていました。
 
 基本、乾燥していながらも、
 確実に、緑があり、
 常に、「何か」が、生産されていました。
 
 南カリフォルニアは、
 僕が目にした範囲では、乾燥が強すぎるようで、
 すこし、様子が、異なりましたが、
 
 サンフランシスコに着くまでの間は、
 基本、
 そんな光景が、ずっと、続いていました。
 
 日本とは、異色の、
 僕にとっては、ニュージーランドと似た種類の、
 「豊かさ」を、感じさせてくれました。
 
 「興奮」と「安らぎ」が、
 不思議と、違和感無く、
 同居していました。
 
 
 徐々に、人の営みが濃くなり、
 車だけでなく、家も、多くなってきて、
 
 町の間隔が狭くなり、
 商業施設だけでなく、
 娯楽施設なども、目につくようになり、
 
 「都市」が近づいていることが、
 明らかとなってきました。
 
 高速道路5号線を、
 右折して、他線に換えると、
 モーターレースがあるとのことで、
 渋滞に、はまりました。
 
 確実に、
 人の気配、生活の気配が、
 濃密になりました。
 
 シャスタが、確実に、
 遠くなったとともに、
 サンフランシスコが、
 近づいていました。
 
 
 「期待を込めた、頭での計算」による予定よりは、
 時間がかかりましたが、
 でも、ほぼ、「想定内・計画通り」に、
 昼過ぎに、
 
 サンフランシスコの北岸の、
 サンラファエル( San Rafael )という町に、
 到着しました。
 
 サンフランシスコからすると、
 「ゴールデンゲートブリッジ」を渡った先に、
 この町がある、
 という、位置関係で、
 
 今回の、僕らの行程からすると、
 まだ、「サンフランシスコの手前」になります。
 
 ここに、立ち寄りたい店がありました。
 
 " Good Earth " という、
 オーガニックの食品・商品を扱う、
 スーパーです。



 
 滝沢泰平さんが紹介されていた 記事 を読んで、
 行ってみたいと、思っていました。
 
 
 まず、
 サンラファエルの町が、
 とても素敵でした。


 
 町そのものが、
 とても、こじんまりとしていて、
 
 大きな、高い、ビルなどは無く、
 小さな商店が、肩を並べて、仲良さそうに、並んでいて、
 街路樹が、ずっと、濃く、植えられていました。


 
 しかも、
 サンフランシスコからは、
 橋を隔てたところにあるからか、
 
 日曜日のお昼にも関わらず、
 それほど、込み入ってはいませんでした。
 
 心地よく生活できそうな町だと、
 感じました。
 
 
 お目当ての店も、
 期待どおりに、
 いえ、想像以上に、
 素敵でした。
 
 まず、入り口、入ってすぐに、
 オーガニックの、果物と野菜が、
 ビッチリと、並べられていました。




 
 その、種類の多さ、
 新鮮さ、力強さ、
 彩りの豊富さに、
 圧倒されました。
 
 ナッツ類も、
 種類豊富に揃えられていて、
 量り売りされていて、


 
 横にある機械を使えば、
 このお兄さんのように、
 自分で、「ピーナッツクリーム」を作ることもできました。


 
 ビールや、ワインをはじめとする、飲料も、
 みな、オーガニックなものばかり。
 多彩な顔ぶれ。


 
 そして、ここにも、
 デリコーナーがあり、
 お惣菜や、デザートも、売られていました。



 
 僕は、
 ここでは、特に、
 この、パンたちに、とても惹かれました。


 
 そこで、
 これは、当初の予定通りなのですが、
 ここで、食材を購入して、
 移動の後、
 外で、この日のランチを食べることにしました。
 
 みな、希望どおり、大満足の、
 食材食料調達が、できました。
 
 
 移動先は、
 お店から、
 車で、30分ほど。
 
 まず、
 すこし、南に、サンフランシスコ方面に進み、
 そこから、西に曲がり、
 ひたすら、山道を登ります。
 
 右に左に、くねくねと、曲がりながら、
 はじめは、レッドウッドの、高い樹々の間を抜け、
 そのうちに開ける、その道を、
 高度にして、700mほど、上がり続けます。
 
 すると、
 見晴らしの良い、展望所に着きます。
 タマルパイス山( Mt. Tamalpais )山頂です。
 
 ここからは、
 サンフランシスコ方面、サンフランシスコ北岸、
 そして、太平洋が、
 一望できます。
 
 こちらも、
 滝沢泰平さんの ブログ に紹介されていて、
 ぜひ行ってみたいと、思っていた場所です。
 
 
 相変わらずの、好天の中、
 気持ちよく、ここまで、たどり着き、
 上機嫌で、車を降りました。
 
 景色を眺めるために、
 一歩、高いところに上り、
 そこで、
 その事実に、はじめて気づき、
 ビックリしてしまいました。
 
 この旅行中、
 はじめてのことを、目にしたのです。
 
 雲です。
 
 サンフランシスコ方面は、
 びっしりと、一面の雲に覆われていました。


 
 
 アメリカで、
 はじめて出会う、大量の雲。
 
 しかも、
 そのせいで、サンフランシスコが、見渡せません。
 ゴールデンゲートブリッジも、見えません。
 
 はじめ、がっかりしました。
 とても、がっかりしました。
 
 でも、思えば、
 「霧のサンフランシスコ」が、
 雲で覆われている、という光景を望むのは、
 何も、がっかりすることではないと、湧いてきました。
 
 よく見ると、
 一番近い、すぐ真下のところでは、
 微妙に、海岸線と水面(太平洋)が見えていて、
 
 それによって、
 雲が、ものすごい量、ものすごい速さで、
 サンフランシスコに向かって、流れ込んでいることが、
 見て取れました。
 分かりました。
 
 そうすると、
 それはそれで、
 とても「らしい」光景を目にできたのだと、
 好意的に、捉えることが、自然、できました。
 
 
 すると、
 
 アメリカに来て以来の、
 これまで、ずっと続いてきた、
 「圧倒的なまでの、好天」が、
 
 「当然」ではなく、
 ある種、とても恵まれた「偶然」であったことに、
 改めて、気づき、
 
 と、同時に、
 
 しかし、同時に、
 意味あって、そうあるべきだから、そうなされた、
 「必然」でもあったのだ、
 ということにも、気づかされました。
 
 まず、
 その「認識」に、圧倒されました。
 
 
 そうすると、今度は、
  もうしばらくして、あの雲の下に、入って行ったなら、
  新しい状況に入って行くのだ
 と、
 
  ここまでが、ひとつの区切りなのだ
 と、
 感じました。
 
 すると、
 なにか、とても、ホッとしました。

 そして、
 その、素晴らしい眺めをも、おかずに、
 「雲海」を含めての「素晴らしい」眺望をも、肴に、
 ゆったりと、楽しく、
 昼食をとることに、自然と、入って行けました。
 
 
 さあ、
 いよいよ、ランチです!
 
 子どもたちは、
 パスタや、カツ丼といった、お弁当を、買っていました。
 それを、銘銘、食べました。
 
 一方、
 大人二人は、
 
 チーズ、ワカモレ、
 そして、オリーブとパプリカのマリネを、つまみに、
 
 先ほどの、パンをメインとした、
  「どうして、そこに、ワインが無いの?」
 という、
 ピクニックランチに、興じました。


 
 パンは、バゲットと、
 もうひとつ、
 ライ麦などの粒がギッシリの、ドイツ系の、重いパン。


 
 日本では、なかなか、出会えない、
 僕が、最も好きなタイプのパンです。
 
 それを、爽やかな、好天のもと、
 眼下に、素晴らしい光景を眺めながら、
 たっぷりと、味わうことができました。
 
 人生における、最高のランチの一つ、
 と、なりました。
 
 
 パンは、
 期待通りに、好みに合って、
 それが、このランチで、いちばん、嬉しかったのですが、
 
 チーズも、ワカモレも、
 アメリカで口にした中で、一番のものでした。
 
 そして、オリーブも、
 特に、黒オリーブは、
 今までの人生で、食べた中で、一番の、大粒で、
 
 味も、しっかりと濃く、美味しくて、
 とても、印象的でした。
 
 地元のもの、とのことだったので、
 このようなオリーブを生産できることは、
 素晴らしいな、と、思いました。
 
 その豊かさを、
 すこし、羨みました。
 
 
 中でも、一番大きな粒は、
 最後に取っておいて、
 そして、
 ゆっくりと、味わって、食べました。
 
 そのときです。
 
 その身を、食べ終わり、
 種を口から出すと、
 
 その種が、
 自然と、割れました。


 
 これまで、
 オリーブの種が割れたことは、
 僕の人生においては、ありませんでした。
 
 しっかりと、噛んでみた時でさえ、
 割れたことは、一度も、ありませんでした。
 
 それが、
 口から出すと、
 自然、割れました。
 
 いままでの人生で、一番大きな、オリーブの種が、
 いままでの人生で、はじめて、割れました。
 
 その事実は、
 僕にとっては、
 ちょっとした、衝撃でした。
 
 
 そのとき、
 「割れたんだ」と、思いました。
 
 「開けられたんだ」と、
 「開かれたんだ」と、思いました。
 
 そして、
 これで「区切れた」と、
 改めて、
 思いました。
 
 改めて、
  ここまでが、「一区切り」なんだ
 と、
 思いました。
  
  アメリカに来て以来、続いていた、
  「何か」が、
  これで、終わったんだ、区切れたんだ
 と、
 思いました。
 
 そして、
 それは、すなわち、
 
  アメリカに来て以来の「何か」を、
  ちゃんと、終えられたということ
 だと、
 
  その「何か」を、
  無事に、成し遂げられたということ
 だと、
 
  だからこそ、区切れるのだ
 と、
 思いました。
 
  無意識であったにせよ、気づいていなかったにせよ、
  そして、それが「何」であるか、分からないにせよ、
  するべき「何か」というものがあり、
  そして、それを、ちゃんと、やり終えることができたのだ
 と、
 思いました。
 
  アメリカに来た意味が、一つ、完了したんだ
 と、
 思いました。
 
 僕にとっては、
 今回のアメリカ旅行そのものが、
 アメリカに来るということそのものが、
 「起きてきた」わけですが、
 
  それが、これで、ここで、一応、完了したのだ
 と、
 思いました。
 
 さっき、ホッとした、
 その理由が、分かりました。
 
 
 さらに、続けて、
 そのとき、
 
  その「何か」というものが、
  『何』なのか
 
 分かった気がしました。
 
 可能性ある「考え」が、
 思い浮かびました。
 
 それは、
 シャスタにいるときに、
 感じたことでした。
 
 
 そう、認識してみると、
 とても、幸せでした。
 
 口にする、食べもの一つひとつが、
 身体に、沁み込んでいきました。












2016年12月10日土曜日

2016アメリカ旅行30 さようならマウントシャスタ


 シャスタシティの、モーテルで、
 早朝、まだ暗いうちに、
 目を覚まし、
 
 アメリカ旅行11日目が、
 明けました。
 
 今朝も、
 僕たちのアメリカは、
 快晴でした。
 
 シャスタ越しの、朝日は、
 昇りはじめから、
 強力な光線を放っていました。


 
 この日は、
 シャスタを後にし、
 サンフランシスコを経由して、
 サンフランシスコの南、モントレーまで、移動。
 
 距離にして、
 ちょうど400マイル(650キロ弱)、
 
 時間では、
 寄り道無しでも、6時間半。
 
 サンフランシスコでは、
 すこし、観光をしたいと思っていましたので、
 
 朝早くに発って、
 午前中のうちに、
 できるだけ、移動してしまう予定でした。
 
 そのために、
 マクラウドにある、
 ストーニーブルックインではなく、
 
 シャスタシティにある、
 モーテルに、泊まったのでした。
 
 
 ところが。
 
 荷造りをしているところで、
 突然、気がつきました。
 
 僕の、荷物が、
 一つ、ありません。
 
 どれだけ探しても、
 見当たりません。
 
 よ〜く、考えてみても、
 どうしても、
 ストーニーブルックインに、忘れている可能しか、
 思い当たりません。
 
 逆に、
 ストーニーブルックインに置き忘れているとしたら、
 納得がいきました。
 
 おそらく、そうなのでしょう。
 
 せっかく、
 シャスタシティのモーテルに移動して、
 泊まったのに、
 
 結局、
 ストーニーブルックインまで、
 戻らなくてはならなくなりました。
 
 裕子さんに詫び、
 すこし、時間をつぶして、
 マクラウドまで、
 もう一度、帰ることになりました。
 
 
 そのため、
 時間ができたので、
 
 モーテルを出て、
 もう一度、水を汲みに行くことにしました。
 
 マウントシャスタ市民公園は、
 早朝も、
 静かで、細かい空気に満ちていました。
 
 朝訪れても、
 素敵な場所でした。
 
 シャスタの湧き水を汲み、
 飲み、
 大好きな公園を眺めていると、
 
 どうにか、吹っ切れていた、
 「シャスタと別れる」ということへの、残念な気持ちが、
 断ちがたく、強いものになってきました。
 
 駄々をこねる、自分の中の、
 小さく、しかし、ごく素直な自分を、
 どうにかこうにか、制して、
 車に乗り込みました。


 
 シャスタの街中には、
 朝早くからやっている、
 パン屋さんがあり、
 
 そんなこともあって、
 早くから、人の動きが見られましたが、
 
 でも、
 日中に比べると、静まりかえっている、
 その町は、新鮮で、
 
 また、「耐え難さ」感を、
 湧き上がらせました。
 
 何度も通り、
 すでに、見慣れた、
 マクラウドまでの道を、
 
 半起きで、寝ぼけたままの、
 子どもたちだけでなく、
 裕子さんも、僕も、
 口をつぐんだままでした ...
 
 
 ストーニーブルックインに着くと、
 朝食の準備で、
 すさなさんは、キッチンに、いらっしゃいました。
 
 事情を話すと、
 幸い、僕たちが泊まった部屋は、
 その日、空いていて、
 すぐに、中に入れました。
 
 やはり、荷物はありました。
 
 お礼を言い、
 改めて、お別れのご挨拶をすると、
 
  「ちょっと、待っていて」
 と言って、奥に入り、
 そして、
 何かを手に、戻って来られました。
 
  「昨日は、忙しくて、渡せなかったけど、
   はい、おみやげ」
 
 そういって、
 シャスタで採られた、
 ブラックベリーのはちみつと、


 
 その、養蜂家さんが作られた、
 ビーワックスの、観音像を、くださいました。


 
  「昨日は、忙しかったから、
   渡す時間も、お話しする時間も、無かったから、
   今朝、戻ってきてくれて、良かったわ」
 
 そう、おっしゃってくださいました。
 
 そうして、
 すこしの間でしたが、
 お話をすることができました。
 
 すべてが必然なんだと、
 そう、分かりました。
 
 
 せっかく、マクラウドに戻ってきたので、
 もう一度、
 最後に、
 マウントシャスタに、ご挨拶させていただくことにしました。
 
 一片の雲もない、
 マウントシャスタに、
 しっかりと、感謝とお別れを、お伝えできました。



 
 ここまで、くっきりとした、
 マウントシャスタを、拝めたのは、
 このときが、初めてでした。
 
 すべてが、それでいいんだと、
 もう一度、感じました。
 
 マウントシャスタは、
 これまで以上に、
 輝いて見えました。