2013年10月12日土曜日

「こうあるべきだ」の掃除

(「 今、目の前に、あるんです、悦びは 」の続きです)

 「しないといけない」「しなくていい」
 いわゆる、これ、「良い」と「悪い」なわけです。

 で、「良い」と「悪い」という価値観に基づいて、
 自我は、「良い」ことをしようとして行動していきます。

 それは、その反対が必ずある、っていうことだから、
 一枚のコインを手に入れようとすると、
 長所と短所があるわけですね。

 みなさん、今まで、自我の追い求めるもの、
 名誉であれ、地位であれ、
 どんな喜び、追い求めるものには、
 必ず、反対があるんですね。

 で、本当は、
 その反面、裏っ側が、
 その喜びを作り出してるんです。

 ところが、その反面を、
 みなさん、悪しきものだと思ってますから、
 必ずそれで、しっぺ返しが来ます。

 で、この「良い悪い」の掃除、もっと、
 ぜひ一番最初に取って欲しいのは、
 よく聞くことだと思うんですけれども、
 「良い」の強いやつで、
 「こうあるべきだ」。

 「夫は こうあるべきだ」
 「職場では、従業員は こうあるべきだ」
 「社長は こうあるべきだ」
 「上司は こうあるべきだ」
 「先生は こうあるべきだ」
 「生徒は こうあるべきだ」

 これもね、あの、まだまだ、
 この職場とか、家庭の中では、
 たくさん持ってるんです。

 たとえば、主婦の方で、
 料理・夕飯の支度をして、
 「よくやった!」と思う人はいないと思うんですね。

 普通の「良い」だと、
 料理をして、で、料理ができたら、
 本当は喜びを感じるんですね。

 「良い」と思ってるだけだったら、
 良いことをして、それが、料理が完成したとき、
 喜びを感じます。

 ところが、
 「主婦とは料理を作るべきだ」と思ってると、
 料理を作るのが当たり前になっちゃってるわけです。

 だから、この「べき」の場合にはですね、
 良い場合の「喜び」が生まれないんです。
 「当然」なんですね。
 「して当たり前」。

 ところが、今度逆に、反面が出た時には、
 「とんでもない!」
 「料理サボるなんで、とんでもない!」
 「とんでもないことだ!」
 極端にとがめて。

 「べきだ」っていう考え方は、
 もう「とがめ」以外、存在しないんです。

 「良い」だったら、
 まず、「良い」と「悪い」で、
 これ、ご破算(はさん)になるんですよね。
 「良い」と「悪い」でご破算になるんです。

 「努力したら、報われる」
 どんなに努力がきつくても、
 努力に比例して、その結果が、良い結果が出たら、
 報われるでしょ?

 報われると、
 その努力の苦しみっていうのは、
 全部一緒にご破算で、きれいに消えちゃうんですね。

 ところが、
 「職場では、仕事して当たり前」
 「こうあるべきだ」
 って思ってると、
 仕事やったことに対して、あんまり喜びがないわけですね。
 当たり前になっちゃってる。

 そして、サボる罪悪感だけが、こう、倍加してくるわけなんですね。

 で、あの、こういう話もいつもしてることですけれども、
 日常、それをほったらかしてて、
 で、よ~く気づいてみると、
 しょっちゅう、人をとがめたり、自分をとがめたりしてるんですね。

 あの、ぜひ、
 その「とがめる自分」に気づいて、掃除していく、
 ってことを、やってください。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より