2013年11月14日木曜日

「他人」を消すと、「自分」も消えてしまう

 (「 『外には何も無く、すべて内側にしかない』という価値観だけでも、ちゃんと生きていける」 の続きです)

 その時、
  「外が幻である」
 ことが分かります。

 今までのみなさんの価値観だと、
 幻とは、思えないわけです。

  「現実じゃないか!」
 って言うわけです。

 でも、反対から見ると、
 これ、ただの幻なんです。

 映像なんですね、
 反対から見ると。

 で、
 これが「映像だ」と分かることによって、
 我々は、神意識を取り戻していくんです。

 元々、一つの神だったものが、
 現実を創るために、
 内を見えなくしたわけです。

 だから、
 半分の見方で、
 え~、神から遠ざかってきたんです。

 神に近づいていくためには、
 逆の見方をする必要があるわけですね。

  「いっさい、外には何も無い」
  「だから、自分の見てるもの、自分の見てるもの全部、自分しかいない」

  「自分しかいない」
 って、他人を消すと、
 実は、自分も消えてしまうの、分かりますかね?

 「自」と「他」っていうのは、
 対比した言葉ですよね。
 「自分」と「他人」。

 え~、よく
  「自我を消せ」
 って言うの、聞いたことあるでしょ?

  「自我を消すと、楽になるよ」
 でも、自分は消すの、たいへんですね、なかなか。
 だって、ここに居るんだから。

 で、自分を消す方法として、
 他人を消したら、
 自分しか居なくなるんですね。

 自分しか居なかったら、
 他人はどこに居るんですか?

  「他人は存在しない」
 っていうことは、
 自分という概念が消えてしまうんです。

 全部、自分。

 これは、自分の身体の中で考えてみればいいですね。

 例えば、
  「不公平がこの世の中にある」
 と思ってるでしょ?

 え~、私、車 運転するとき、
 今、オートマですから、
 右足しか使わないんですね。
 左足は、じっとしてます。

 でも、右足は、左足に対して、
  「おまえ、もっと働けよ!」
  「不公平だ」
 っていう想いは、絶対に出ないんです。

 一つだと思ってるからなんです。

 で、人殺しのシーンが見えたとします。
  「それが『自分だ』という認識が持てたら、どうかるか?」
 っていうことですね。

 すべてが自分なんです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より