2014年2月7日金曜日

波しぶきの 視覚的変化に

もう、今から2ヶ月くらい前の体験で、
文章も、その当時、書いたものなので、
今の自分からすると、すこし、文章の「鮮度」「活度」が落ちるのですが、
何かお役に立つことがあればと思い、そのまま載せさせていただきました。
ご参考になることがあれば、幸いです。



 「この価値観いらないなぁ」
と、何度か立て続けに、こころに浮かんだ価値観がありました。

一言で言えば、
『比較』ということになると思います。

 「上下」がある
 「すごい・すごくない」がある
 「偉い・偉くない」がある
といったものです。

いっぱいいっぱい、大きなものを、強く、握ったままです。
しょっちゅう頭に浮かんでは、
やれやこれやと、何かと自分を、比べています。

 「よし、手放そう」
と思い、
まず、ある特定の価値観を、
内杉式M2を使って、浄化しようとしました。

1回目。
どうも、抜けた実感がありません。

続けて、2回目。
やはり、感覚がありません。

 「あれぇ、変だなぁ」
と思い、時・場所を改めてから、再度やろうかと、
顔を上げた瞬間です。

そのとき、僕は海岸にいたのですが、
前方に見える、テトラポットに当たってはじけた
白い波しぶきが、それまでとは、一変して見えたのです。

それまでは、例えていうなら、
油絵具で、筆を横に走らせながら描いたような、
「一枚の面」のように、一つの波が見えていたのが、

そのときは、一粒一粒の滴が、はっきりと認識でき、
それらが集まって、はじけた一つの波を作っているように、
見えたのです。

その変化に、驚きました。

遠くの波しぶきとはいえ、
それを「面」のように見えていたこと自体が、
そもそもおかしかったと言えば、それまでですが、

ただ、浄化を行った直後に、
視覚的に、変化が起こったことは、
僕にとっては、事実です。

一つのエネルギーブロックが浄化されたから、
そのような視覚変化がみられたのか、
あるいは、しっかりと思考が停止していたからなのか、
どちらなのかは、よく分かりませんでした。

また、そのとき、変化が見られたのは、
波だけで、
そのほかのものは、それまでと変わらずに見えました。

以前、 "現実" というのは、
『あるがままの現実』と、
「エネルギーブロックという汚れを通してのぞいて」見えている現実(『観念的現実』)
とが、重なり合っている、という津留さんの説明を書きました
(「エネルギーブロックという汚れを通してのぞいている」)。

「波」というのは、自然そのもので、
まさに、『あるがままの現実』の代表的なものですが、
そこにも、心象世界の影響が、視覚的に、かかっていて、
 「『ありのまま』が見えているわけではないのだ」
ということを、体感しました。

また、
 「『外』は『内』の鏡であり、映像である。」
ということを、少し、実感しました。

エックハルト・トールさんのとってもお勧めな動画、
エックハルト・トール 自伝 』でも、
夜中に大きな気づきを得た翌朝、
外の風景が一変して見えた、ということが語られていますが、
そういうもんなんですねぇ。

僕が経験・体感したのは、ほんのわずかなことでしたが、
 「本当に、そうなんだなぁ」
と、少し、納得が進んだのと、
少し、こころが温かく、開いていくのとを、感じました。