2014年10月31日金曜日

写真・北海道旅行記5 ー二風谷での祈り


摩周湖を後にして、
硫黄山、屈斜路湖を経て、
宿に戻りました。

宿では、
すぐに、荷物をまとめ、朝食。

そして、
夜にはムササビが舞った、露天風呂に身を浸け、
早朝の摩周湖鑑賞で、少々、冷えた身体を、
芯から、温めました。

そういえば、
その朝は、気温12℃。

その時期としては、異例なほど、暖かく、
そのおかげで、
薄着の僕でも、ゆっくりと、湖を眺めることができました。
とても、ありがたいことでした。

そして、宿を出た僕は、
一路、進路を西に取り、
『平取(びらとり)』に向かいました。


鹿児島で、霧島に伺ったとき、
当地でお世話になった方に、
 「次は、北海道へ行くのですが、おススメの場所はありますか?」
と、尋ねました。

妻の、裕子さんに、
そう、尋ねるように、言われていたのです。

 「義経神社」
その方は、ためらい無く、そう、おっしゃいました。

帰宅後、調べてみると、
ご祭神は、源義経で、
択捉探検で有名な、近藤重蔵が建造、とのこと。
場所は、「平取町」。

『源』義経の神社が、『平』取町に建てられているのは、
なんらかの、意図があることと思います。
「『源氏』と『平家』の和合」というテーマにも、
個人的に、少しですが、関心もあります。

そんなわけで、
道東からの帰り道には、
平取町を訪ねることは、決まりました。

 「でも、せっかくだから、もっと、他には、ないかな ... 」
と思い、
 「『アイヌ』、『聖地』」
のキーワードで、検索してみたとき、
トップで出てきたのが、
 『二風谷』
でした。

二風谷のことは、詳しくは、知りませんでした。
アイヌの方々の聖地ゆえに、彼らが反対したにも関わらず、
ダムが造られてしまった場所である、ということは、知っていました。
でも、それ以外のことは、何も知りませんでした。
どのような聖地であるのかも、知りませんでした。

そこで、検索で引っかかったサイトを見てみて、
驚きました。
二風谷があるのも、「平取町」だったからです!

二風谷ダム、それによってできた二風谷湖、
そのほとりにある、アイヌ文化博物館などからは、
義経神社まで、車で、10分ほどの距離だそうです。

そうなれば、二風谷にも、
伺わない理由は、ありません。

そして、
伺うのは、そちらの二カ所だけで、充分なように思いました。

こうして、
道東からは、平取町を経由して、新千歳空港に戻ることに確定しました。


さて、帰路。
道中は、小雨が舞うこともあったものの、
基本的には、安定した天候で、順調に、進みました。

飛行機や、レンタカー返却の時間から、
逆算して立てた、目安の時刻よりも、若干の余裕を持って、
車は、極めてスムーズに、晩秋の北の大地を、クルーズして行きました。

枯れ葉舞う道を、どこまでも、どこまでも、ドライブしていく感覚は、
とても、「非日常」感が強く、
旅行をしていることを、特別なことをしていることを、
強く実感することができました。




そして、午後2時。
突然、携帯電話が、音を立てました。

見ると、メッセージが入っています。
車を停め、読んでみると、妻からでした。

 「午後3時には、どこに居る予定ですか?」
そう、書いてありました。

 午後3時?
あと、1時間後です。
事情も、よく分からないので、
妻に、電話をしました。

すると、
少々、気持ちを高ぶらせた感じの妻が、
しかし冷静に、こう、説明してくれました。

 「さっき、たまたま、『シャンタン』さんの Facebook を見たら、
  今日、午後3時に、『カルキ・バガバン』さんも参加される、
  祈りのイベントが、行われるそうです。
  日本列島を『龍体』に見立てた場合の、尾っぽである『九州』から、
  新たなエネルギーを送り出し、
  それを、『不二阿祖山太神宮』まで送り、
  そこから、さらに、『北海道』にまで届け、
  日本全土に、新しいエネルギーを行き渡らせる、そのための祈りで、
  それによって、旧きエネルギーを崩し、旧き意識を揺り動かし、
  そして、新たな意識、新たな地球に進むよう、
  まず、雛形たる日本を、変えていく、ということを、意図しているそうです。
  シャンタンさんは、今、発信地である、九州に居て、
  そして、多くの方の参加を、呼びかけています。
  あなたは、午後3時には、どこに居て、そして、祈りに参加できそうですか?」

シャンタンさんは、
日本人として、最初に、Oshoのコミューンに入られた方の一人で、
これまでにも、さまざまなワークを、主催されている方です。

そして、普段は、
Oshoや、カルキ・バガバン、そして、津留さんのメッセージを、
Facebook を通じて、ご紹介なさっています。

津留さんのメッセージをご紹介くださるにあたり、
事前に、われわれの許可をとってくださり、
そして、これまでに、2度ほど、津留さん交流会にも、ご参加くださっています。

その、シャンタンさんが、
今、『九州』にいて、そのイベントを、主導されているとのこと。
カルキ・バガバンさんも、かの地から、ご参加なさるとのこと。

『九州』といえば、3週間前に、鹿児島を訪れ、
しかも、その際には、霧島神宮、高千穂峰を、ご訪問させていただいたばかりです。

『不二阿祖山太神宮』も、泰平さんのブログで、その存在を知り、
また、シャンタンさんにご紹介されて、
この夏、家族でご参拝させていただいたところです。

しかも、それらのエネルギーを、
今、僕が居る、『北海道』にまで、送り届けたい、とのこと。

そのイベントの存在を、
その、開始1時間前に、知りました。

しかも、
午後3時には、平取町に、着いている予定です!

 これは、何かありますよね?? ^^


そこで、妻には、こう、伝えました。

 「午後3時には、平取町に、着いてる予定です。
  その時間には、二風谷にも、義経神社にも、伺えます。
  どうするのが、良さそうか、シャンタンさんに、訊いてもらえる?」

妻は、メールで、シャンタンさんに、伝えてくれました。

  僕が、3週間前に、鹿児島・霧島に、伺ったこと。
  夏に、不二阿祖山太神宮にも、伺ったこと。
  そして、今は、ちょうど、北海道に居て、
  今朝は、日の出前から、摩周湖を訪ね、お祈りをささげたこと。
  そして、午後3時には、平取町に、着いていそうなこと、を。

しばらくすると、
シャンタンさんから、僕に、電話がかかってきました。

 「それは、ぜひ、二風谷で、お祈りに参加してください。
  そして、そこには、『レイラ』さんという、
  バガバンが、インドにご招待したことのある人がいるはずですから、
  訪ねてみてください」

これで、
どこで、何をするか、決まりました。

ただ、『レイラ』さんという方をご訪問するには、
どうしたらいいでしょう?
僕は、その方が、どんな方か、存じ上げません。

そこで、とりあえず、
シャンタンさんからの、電話の内容を、妻に、そのまま伝え、
その上で、妻から、アイデアをもらうことにしました。

すると、妻は、僕の話を聞きながら、
すぐさま、こう、言いました。

 「『レイラ』さん?
  『レラ』さん、ではなくて?」

妻には、心当たりがあるようです。
その件に関しては、後ほど、連絡をもらうことにして、
とりあえず、再び、車を走らせました。

そのとき、車を停めて、電話をかけていたところは、
橋のたもとの、空き地でした。
その橋を渡ってみると、その橋の名は、
 「竜門橋」
でした。

 「ここからは、聖域に、入って行くんだ」
そんな気が、しました。


妻からの、折り返しの電話を受ける前に、
「二風谷アイヌ文化博物館」に着きました。

そこで、妻に、電話をしました。
妻は、すでに、調べていてくれました。

 「『レイラ』さんという方は、分からないけど、
  二風谷在住の、『アシリ・レラ』さんという、
  アイヌのシャーマンの方は、知ってます。
  8月の、八ヶ岳のイベントに、出演されていたから」
 「ただ、『レラ』さんを訪ねるとしても、
  そのご訪問先は、分かりません」

妻のブログにあるとおり、
8月に、家族で、旅行をしたときに、
妻は、八ヶ岳で、イベントに参加したのでした。

そこに、出演者として、参加されていた方の一人が、
『アシリ・レラ』さんでした。

ちなみに、
そのイベント終了時に、会場で、
泰平さんに、再会していたので、
今回の、摩周湖といい、二風谷といい、
どちらも、そのときにイベントが、絡んでいるんですね ^^ 。

さて、
シャンタンさんに言われた、僕が訪ねるべき方は、
『レイラ』さんなのか、それとも、『レラ』さんなのか、
不明なまま、

しかし、とにかく、
他に、思い当たる手段も無いので、
二風谷アイヌ文化博物館の受付で、聞いてみることにしました。

 「『レイラ』さんという方は、こちらにはいらっしゃいませんか?」
 
 「『レラ』さんなら、向かいの○○の横の道を ・・・ 」

やはり、『レラ』さんでした。
そして、『レラ』さんのお宅を、お聞きすることができました。
そこからは、車で、数分の場所のようです。
その時点で、14:50でした。

そのとき、
すべてが、一筋の流れに乗っているように、感じられました。


『レラ』さんのお宅は、
すぐに、分かりました。

訪ねると、
ビックリするほど、あっさり、
お宅に通してくださいました。

ただ、
『レラ』さんご本人は、接客中でした。

そして、すぐに、
15:00のタイミングが、やってきました。

そこで、10分間ほど、
その場で、『レラ』さんのお宅で、
お祈りをさせていただきました。

その後、
しばらく、待たせていただきましたが、
そのご用件は、当分、終わりそうにない雰囲気でした。

レンタカーの返却時間、飛行機の時間があったので、
ご訪問趣旨を紙に書き、残し、
そして、その場を立ち去りました。

結局、
『レラ』さんには、お会いできずじまいでした。

流れに、乗っていたはず、ですが、
お祈りの依頼・お誘いをできないばかりか、
お会いすることすら、叶いませんでした。

ですが、
不思議と、
流れには乗ったまま、という感覚がしました。

 「これで、良かったはず」
と、
感じることができました。


その直後、
二風谷アイヌ文化博物館に戻り、車を停め、

二風谷湖のほとりへ向かい、
そこで、改めて、
お祈りをしました。



そこでは、
先ほどの、『レラ』さん宅でも、同じでしたが、

アイヌの方々の、
過去の、様々な『想い』・『記憶』・『エネルギー』に対して、

 『謝罪』『共感』『感謝』『赦し・赦され』『和合』
といった、
そんな想いを持って、
お祈りさせていただきました。

それと同時に、
アイヌの方々だけでなく、
日本の、そして、地球上の、すべての、
『被支配民族』『被差別民族』の方々の、
過去の『想い』・『記憶』に対しても、

それらへの、
 『謝罪』『共感』『感謝』『解放』
といったことを、意識し、
お祈りをしました。

 「旧き『エネルギー』の『解放』『浄化』」
をお祈りし、

そして、
 「新たな地球への移行」
を、
祈念いたしました。

『レラ』さんのお宅にお邪魔しているときに、
その、お宅の雰囲気や、
そこに集っている方々の雰囲気などから、

アイヌの方々と、
ニュージーランドの『マオリ族』との、
相似を、関連・連携のようなものを、
強く、深く、感じていました。

なので、
特に、『マオリ』の方々や、
あるいは、『ネイティブ・アメリカン』の方々、
『マヤ』『インカ』といった方々を意識して、
祈りをさせていただきました。


その後、
二風谷ダムの横をとおり、
義経神社にご参拝させていただきました。

美しく葉々の色づいた樹々をバックに、
義経神社は、ひっそりと、たたずんでいました。



そこでは、
 「『源氏』と『平家』」「血族」
 「『北海道』と『内地』」
 「『北海道』と『北米』」
といったことにまつわる、
 『対立』『執念』『和合』『解放』
といったことを意識して、
お祈りをさせていただきました。

 「新たな地球、新たな人類の文明」
それらの招来と、進展・発展における、
北海道の役割、ということについて、
そして、それらの順調な遂行について、
お祈りさせていただきました。

 広大な大地
 四方に広がる海洋
 深い森林
 各地に湧く温泉
 清純な水、空気
 約200%におよぶ食料自給率

「深い雪」とて、
上手く活用・運用することができれば、
夏場には、貴重なエネルギー源となります。

そんな、
 「これからの『日本』『地球』」
における、
『北海道』の役割と、その可能性について、

その道のりは、必ずしも平坦ではないかもしれないけれど、
でも、しかし、
それは、とても重要で、とても明るいものであると、
感じずには、いられませんでした。


こうして、
 鹿児島・『霧島』
からの、一連の流れによって、

 北海道・「『霧』の摩周湖」、「二風谷・義経神社」
へとつづいた旅は、
いったんの、終息を迎えました。

しかし、それも、
「完全な終息」ではなく、
「いったんの休息」
であることは、
なんとなく、分かっています。










2014年10月25日土曜日

写真・北海道旅行記4 ー「霧の摩周湖」後編


前の記事 の続きです)


あまりの、霧の量と、その深さに、
気持ちとしては、泣く泣くながら、
しかし、摩周湖には、お別れをして、
宿に帰ろうと、車に乗りました。

お別れは、急にやって来ました。
「襲って来た」という感じです。

しかし、一方で、
摩周湖を、充分に、眺めることは、できました。
それは、認めざるを得ません。

そこで、
 「泣く泣く」
ながら、
その場を発つことにしました。

ところが、
車を進めていると、
ものの30秒ほどで、
霧が、晴れて来ました!

そのまま、車を進め、
別の展望台、『摩周湖第3展望台』まで行ってみると、
その周辺には、霧はありません。

駐車場の位置からは、
湖の様子は、見られませんでしたが、
こころの半分は、もう、期待しています ^^ 。

駐車場に車を停め、
展望台まで、上がって行きました。

すると、
なんと、ありがたいことに、
期待通りに、湖上には、霧はなく、晴れてます!




陽光も、湖面に映り、
幻想的な美しさを、見せてくれています。




振り返り、
先ほどまで居た、『第1展望台』の方を見てみると、
霧があるのは、なんとなんと、その一角だけでした ^^; 。




こうして、
めでたく、摩周湖に、再会でき、
その後、その全容を、湖面を、
余すこと無く、心置きなく、
満喫できたのでした。

そのときには、
もう、どんな雲が見えようが、見えまいが、
どんなの存在に、会えようが、会えまいが、
どっちでも、良くなっていました。

もう、充分に、満喫できました。
こころの中で、奥さんに、
ひたすら、感謝していました。

さて、
とはいえ、
人間意識としては、まだ、
立ち去ることは、できずにいました。

「充分に満足した」想いとは裏腹に、
かといって、特にきっかけもなく、
立ち去ることは、できずにいました。

そして、そのまま、
ただ、眼下の湖面を、眺めていました。


そのときは、突然、来ました。
先ほどと同様、
何の前触れも無く、突然、襲ってきました。

湖の反対側、僕の背後が、
突然、気になりました。

記憶としては、曖昧ですが、
確か、風を感じたのだったと思います。

振り返ってみると、
霧が、やって来ていました、再び。

そちら側は、かなり低くなっていて、
硫黄山が、その先には屈斜路が、見下ろせます。

先ほど、『第3展望台』の駐車場に着いたときには、
それらは、見えていました。

ただ、
いま、改めて、そのときの写真を見返してみると、
その、駐車場に着いたときには、もうすでに、霧が、出ていたんですね。




そして、その霧は、
いまはもう、目の前まで、迫り上がって来ていました。




湖の方を見ると、
その霧は、もう、外輪まで、迫っていました。




見る間に、
それは、押し寄せ、




そして、それは決壊し、
ついに、湖側に、流れ込んできました。

そして、今回は、
先ほどと違い、
それらは、まとまりを保ったまま、
なだれ込んできました。




その、なだれ込む、霧の形状・様子に、
そのときの僕は、
 「龍だ!」
と、感じました。
 「龍神さまが、ご出勤だ!」
と、感じました。




でも、
いま、冷静に、その写真を見てみると、
それは、どう見ても、
 「ミミズ」
ですね ^^; 。

『第1展望台』にいるときに、
コンクリートの上を、もがき、身もだえていた、
ミミズを、1匹、土の上に、送り届けてあげていたので、

おそらく、
大親分さんが、ご挨拶に、来てくださったのでしょう ^^ 。

よく分かりませんし、
もう、どっちでも、どうでも、いいです *^^* 。


さて、その後も、
霧は、途切れること無く、湖上に流れ込んできて、
見る間に、視界一面、霧に包まれて行きました。











摩周湖は、ついに、
そのお姿を、一部残しただけで、
消えて行きました。

見ようによっては、
なにか、身体の長いものが、動いて行った跡のようなものが、
湖面に見える、とも、見えなくはないものが、見られましたが、



いずれにせよ、
最後に目にした湖面には、

まぶしい陽光が、
ある種、幻想的に、
ある種、アイロニックに、
輝いていました。




こうして、
大満足の、晩秋の、摩周湖ご訪問は、
「摩周湖」の、「『霧』の摩周湖」たる所以を、存分に味わわせていただき、
そして、あちらから、きっかけを与えてくださって、
終わりを告げたのでした。










写真・北海道旅行記3 ー「霧の摩周湖」前編


そもそも、
今回、『摩周湖』を、ぜひ、訪れたかった理由は、
大きく、2つ、あります。


まず、1つ目。

この夏、
両親と、子どもたちと、一緒に、
北海道に、旅行に来ていましたが
(過去記事「夏期休暇のおしらせ」も、お読みいただけると、嬉しいです)、

その際には、
子どもと、老人には、
日程的に、特に、車中での移動時間的に、
道東まで来ることは、難しく、

なので、
 「せっかくなので、とても、来たかった」
けれど、
 「泣く泣く、断念した」
のでした。


そして、もう一つ。

この、滝沢泰平さんの、この記事を、その中の写真を、
裕子さんに教えてもらって、見ていたからです。

 ブログ「天下泰平」
  記事『 “霧の摩周湖”に現れた統合時代の象徴の「龍と蛇」

 ( ご存知の方も、多いかも知れませんが、
   こちらの写真は、ぜひ、ご覧になってください! )

泰平さんとは、
その記事がアップされた、ちょうど翌日、
お会いしていましたので、

お会いしたのは、
その写真を撮られた、その雲を見られた、
まさに、直後。

 「だから、何?」
なのは、そのとおり、ごもっとも、ですが、

まず、そのタイミングから、
なにか、『縁』というか、関連を、
僅(わず)かばかりですが、感じなくもないですし、

なにより、
恥ずかしながら、正直に打ち明けると、
 「うぁ〜、すごい写真だ!」
という、気持ちと同時に、
 「自分だって、こんな場面に、遭遇できるはず!!」
という、

なんというか、
 『嫉妬』『ねたみ』
のような、
そんな気持ちが、結構強めに、湧いて来まして ^^; 、

なので、
 「摩周湖に、行きたい!」
 「自分も、そんな光景を、見たい!」
という想いを、
強く、持っていました。

また、
先ほど、お話ししたとおり、
 「その直前に、北海道に行っておきながら、
  摩周湖には、行けなかった」
という背景が、
その想いを、より、強めていたのも、確かで、

それ以降、そんな気持ちが、
ずっと、くすぶっていました、
浄化をしても、です ^^; 。

裕子さんは、
そんな、僕の気持ちを、知っていましたので、

なので、今回の、僕の道東行きを、
認めてくれたのだと、思います。

そんなわけで、このたび、
晴れて、摩周湖を訪れることが、できたのでした。


10月21日(火)、
前日、どうにか、ギリギリ、間に合って
(写真が、最初の数枚以降は、暗くて、撮れなくなるくらいでした)、
お姿を、拝むことができていましたので、

気持ちとしては、落ち着いていて、
でも、
わざわざ、このために、道東まで、来たのだから、
という、想いもあって、

この日は、
朝、4時に起きて、
朝一番の、摩周湖を、拝ませていただくことにしました。

 「早朝は、霧が出やすいのか、そうではないのか?」
も、分かりませんでしたが、

時間に余裕もありませんでしたし、
なにより、
逸(はや)る気持ちを、抑え切れず ^^; 、

4時半には、宿を発ち、
車で、湖に向かいました。

予定通り、早く起きられましたので、
はじめは、
湖の裏側にある、『裏摩周湖展望台』へ、向かうつもりでした。

そして、
その帰り道には、
青く、透明な水が有名な、『神の子池』に、
寄って帰るつもりでした。

ところが、
カーナビで、目的地に設定しようとしても、
どちらも、入力できません。
地名が、登録されていないみたいです。

そんなことって、あるでしょうか?

その日の宿は、
部屋数5室の、小さな旅館でしたが、
それでも、
電話番号を入力すると、出てきたのです。

それなのに、
『裏摩周湖展望台』と『神の子池』が、
目的地設定できないなんて ...

人間意識としては、諦め切れず、
数分間、格闘したのですが ^^; 、

カーナビ無しでは、
夜明け前の暗がりの中、
たどり着けそうにありませんでしたので、

しかたなく、
前日に訪れた、『摩周湖第1展望台』へと、向かいました。

ところが、
林の中の宿を出てみると、
空は、もう、一部が、白みはじめています。

 「あぁ、これじゃぁ、裏側へ行ってたら、
  日の出の頃には、間に合わないや」
と、
カーナビの『不具合』に、
この時点で、ようやく、諦めがついたのでした。



摩周湖に着くと、
とてもありがたいことに、
前日同様、霧はなく、湖面が見えています!




数分もすると、
空が、だいぶ、明るくなってきました。




直に、陽の光が、雲に映りはじめます。




その後、しばらくして、
もうすぐ、太陽が、姿を見せそうになったとき、




それは、突然、起こりました。
下の、街の方から、それは、現れました。




霧です!

そして、
みるみる、その流れは、増し、加速し、




ものの2〜3分で、
視界は、すべて、霧に覆われてしまいました。




これが、これこそが、
 「摩周湖」
が、
 「『霧』の摩周湖」
たる所以(ゆえん)なのですね。




霧の中では、
霧の中ゆえの、美しさにも、出会えましたが、




このまま、その場にいても、
状況は、変わりそうにありませんでしたし、

なにせ、
ものすごい、霧の量でしたので、
もう、摩周湖は、全体が、
霧に覆われてしまっただろうと、思いました。

そこで、その場を離れ、
宿へ帰ることにしました。


 (つづく)








2014年10月24日金曜日

写真・北海道旅行記2 ー道東へ


今回の、『札幌イベント』は、
正直、
赤字でした。

前回の、『鹿児島イベント』は、
ビックリするくらい、
ピッタリと、経費分は出たのですが
(食費を除いた分)、

今回は、
結構、しっかりとした、赤字でした ^^;

奥さんの、裕子さんには、
申し訳ない限り、なのですが、

そんな中、
 「せっかくの機会なので、『道東に』、
  特に、『摩周湖』を見に、行きたいんだけど ... 」
という、
僕の申し出を、

 「いいわよ。」
と、
快く、二つ返事で、承諾してくれました。

 「どうせ行くんだから、
  いろいろなところで、しっかりと、お祈りを捧げて来て!」
と、
むしろ、積極的に、勧めてくれるかのように、
送り出してくれました。

 裕子さん、ありがと〜〜お〜!



航空チケットの関係で、
はじめから、
10月21日(火)の夜まで、滞在時間がありましたので、

10月20日(月)の朝一番から、
21日(火)の夕方まで、
まる2日間、レンタカーを借り、

そして、
札幌から、道東に、行ってきました。

レンタカーの返却は、千歳(空港近く)。
なので、
時間と距離的には、結構、タイトですが、

ニュージーランドでも、そうでしたが、
自然豊かな場所を、ドライブすることが、
なによりも、大好きな『趣味』なので、

道中も含めて、
たっぷりと、
晩秋の北海道を、楽しんできました。



道中は、
不思議な、おもしろい『雲』に、
いっぱい、出会いました。

越えて来た、雪を冠った日高山脈を、振り返り、眺めてみると ... 
(@清水町美蔓)


まるで、亀が、うさぎを追っているように、僕には、見えました
(@士幌)


亀の雲を離れた直後、こんな雲が、行く手に現れ ... 
(同じく、@士幌)


阿寒湖に、ご挨拶をし、
そして、そこを離れたときには、
もうすでに、夕方の気配。

東側から見た、雄阿寒岳・雌阿寒岳は、
夕日の輝きを、
その背後に、携えていました。




そして、
目的の、摩周湖。

2日目の天候がどうなるか、読めなかったため、
その日の内に、
一度、お姿を、拝ませていただこうと、
まず、展望台に、向かいました。

たどり着いたときには、
すでに、夕闇迫る、薄暗がり ...

明るさは、足りるのか?
そもそも、霧は、どうか?

果たして、
湖面は、見えるのか?















2014年10月23日木曜日

写真・北海道旅行記1 ー北海道神宮


『札幌イベント』を行った、
10月18日(土)と19日(日)の両日は、

快晴で、風もなく、気温も高くて暖かい、
とても天候に恵まれた、2日間でした。

その一日目である、18日の土曜日は、
午後から、「津留さん交流会」が予定されていました。

会場は、僕が宿泊していた、札幌中心部からは、
北西に、少し外れたところで、

そして、その途中には、
「北海道神宮」さまが、ありました。

ちょうど良い流れでしたので、
その日の午前中、会場に向かう途中で、
ご挨拶に伺うことにしました。


動物園などがある、円山公園が隣接している、
その神宮さまは、

とても緑の多い、すばらしい場所で、
市民の憩いの場になっているようでした。

好天の、土曜日。
多くの市民で、賑わっていました。

鳥居をくぐり、境内に入ると、
その、好天ゆえか、
なんだか、とっても、素敵な雰囲気が漂っていました。

理由も、確たる根拠も、何もありませんが、
そして、おそらく、
単なる思い違い、勘違いだと思いますが、

ただ、
 「なぜだか、歓迎していただけている」
という、
そんな感覚が、
極めて曖昧で、漫然としたものだけれど、
でも、ありました。

神宮さま滞在中は、
ずっと、至福感に包まれていました。


北海道神宮さまには、
末社が、三社、ありました。

北海道開拓の功労者が祀(まつ)られた、
開拓神社。

鉱山殉職者の御霊(みたま)が祀られた、
鉱霊神社。

北海道拓殖銀行の物故者の御霊が祀られた、
穂多木神社。

どれも、お社(やしろ)は、大きくはないですが、
北海道の為に尽くされた方々の御霊は、
大きな敬意を持って、祀られていました。

それぞれに、ご挨拶申し上げると、
それぞれに、輝いていらっしゃる様子を、拝見できました。


開拓神社


鉱霊神社


鉱霊神社のお社の横の樹に、
まるでぬいぐるみのようにたたずむ、エゾリス


穂多木神社



そして、
本社、北海道神宮さま。

ちょうど、
七五三で、賑わっていました。

海外からの観光客も、
多数、参拝されていました。

その、賑わい、活気あふれる様子に、
なぜか、
この先の、北海道の望みあふれる行く末を、
感じていました。


北海道神宮




その場の、あまりの心地よさに、
時を忘れて、
ただ、そこに、浸かりきっていました。

気がついたときには、
予定していた、地下鉄の出発時間が、
過ぎ去っていました。

跳ねるように、走り下って行く足取りは、
駅のホームに着くまで、
ずっと、軽やかなままでした。










2014年10月22日水曜日

『第1回 札幌イベント』を終えて


おかげさまで、
2014年10月、
北海道札幌市において、
『第1回 札幌イベント』を、開催することができました。

計8名の方々にご参加いただきました。
ご参加くださったみなさま、
ご参加ありがとうございました。


10月17日(金)、
津留さんの命日に、
札幌へ伺いました。

その、往きの機内で、いきなり、
おもしろいことが『起こりました』。

これまでに、2度、
浄化実践講習会にご参加くださっている方が、
なんと、
その機の、CA(キャビン・アテンダント)さんとして、
搭乗されていたのです! ^~^

前回、お会いしたときには、
 「今度、鹿児島と札幌で、イベントをするので、
  そのときに、機内で、お会いするかも」
なんて、
僕は、言っていたのですが、
さっそく、現実となりました。

でも、
 「えぇ〜、便が、たくさんあるのに、
  お会いするなんてぇ〜!」
と、おっしゃっていたことからすると、
やはり、お会いすることは、珍しいことなんでしょうね。

でも、津留さんの命日ですし、
そのくらいのこと、起こりますよね ^^ 。

新千歳空港に到着後、
その出来事を、妻に、報告すると、
 「それは、幸先の良い、スタートだね!」
と、言ってもらい、
なんだか、急に、その先のことが、楽しみになりました。

その方からは、
その日の夜、
 「その日の帰路、空港に着陸するときに、
  大きな虹を見ました」
と、
写真付きのメールをいただきました。

そのメールを拝読したとき、
今回の札幌イベントが、北海道行きが、
僕にとって、
素晴らしいものになることを、
僕の中のどこかで、確信しました。




空港から、
電車に乗って、札幌に向かうと、
外は、紅葉真っ盛りでした。

札幌では、
葉まで赤く染まった、全身真っ赤なナナカマドを、
見ることができました。

緑の葉に、実を赤く染めたナナカマドは、
これまでにも、何度か、目にしたことがあって、
その美しさには、何度も、やられたのですが ^^; 、

今回は、念願の、
葉まで赤いナナカマドを目にして、
今回の訪問のタイミングが、紅葉の時季であったことに、
はじめて気づきました。





翌、10月18日(土)、
3名の方々にご参加いただいて、
津留さん交流会を、開催しました。

遠くは、旭川と、美瑛から、
ご参加くださいました。
遠路お越しくださり、ありがとうございました。

前回の、鹿児島では、
参加者無しで、開催しませんでしたので、
とても楽しみにしていました。

今回は、DVDの機材を準備できず、
CDの、「『新創世記』横浜編」を、みなさんで聴きました。

その後、シェアリング。
みなさん、
日ごろ、疑問に思っていらっしゃることや、
日ごろ、湧き起こってくる物事、それらに対しての考えや対処、
そして、それらから学び、気づいてことなどを、
とても熱心に、語ってくださり、
真剣に、お聴きになっておられました。
僕としても、気づきの多い、交流会となりました。


その翌日、10月19日(日)には、
こちらも、3名の方々にご参加いただいて、
浄化実践講習会を開催しました。

遠くは、釧路から、
ご参加くださった方々が、いらっしゃいました。
遠路お越しくださり、ありがとうございました。

内容は、いつもと同じ、「浄化実践講習会(初中級編)」の内容で、
浄化の仕組みや、その前提となる理論部分、
そして、実践方法や、浄化のポイントなどを、お伝えしました。

みなさん、とても熱心にお聞きくださり、
お伝えする側としても、熱が入りました。

また、少人数だったため、
フランクに、お話をしながら、質問をしながら、
進めて行くことができましたので、
とてもやり易く感じました。


そして、
個人セッションにも、
2名の方々が、ご参加くださいました。

「北海道らしい」とも言えるテーマがあったりして、
普段、千葉で行っている個人セッションとは、
少し、違ったところもありましたが、
もちろん、根本部分は同じですので、
いつも通りに、浄化のお手伝いをさせていただきました。

 「本を読んだだけだと ... 」
 「一人で、やっていると ... 」
と、
これまでは、浄化に対して、少し、自信を持てなかったそうですが、
今後は、しっかりと、自信を持って、
浄化を進めていっていただけるのではないか、と、思っています。


改めまして、
今回、ご参加くださいましたみなさま、
本当に、どうもありがとうございました。

またお目にかかれることを、楽しみにしています。
また、札幌・北海道で、開催できるように、
努めてまいります。


  集合人編集局
    ひで









2014年10月16日木曜日

ライトワーク


  「無条件の愛」この言葉ほど私の魂をふるわせる言葉はありません。
  神は光であると伝えられました。
  しかし私にとってそれは単なる説明でしかありませんでした。
  そこに感動がなかったからです。
  しかし神とは「無条件の愛」であると伝えられたときには、
  これこそ我が目指すゴールであると感じました。
 
 津留晃一メッセージ集『新人類の覚醒進化プラグラム』「無条件の愛


津留さんのメッセージ集の、5番目の、「無条件の愛」の中に、
こんな文章が、出てきますね。

僕の場合には、
残念ながら、「無条件の愛」という言葉に、
「魂をふるわせ」られるほどの、想いは、やって来ませんし、

そこまでに、「魂をふるわせる」ほどの言葉は、
持ち合わせていない、のですが、

それに近い言葉、
 はじめて耳にしたときから
 いままで、変わらずに、常に
 ハートを、とても細かく、震えさせる言葉
そんなものが、あります。

それは、
 『ライトワーク(light work)』
という、言葉です。

おそらく、
確たる定義なども無くて、
人それぞれに、イメージして、
人それぞれに、使っている言葉だと、は、思いますが、

 「光のお仕事」
 「光を放つ、『灯台』となる」
 「その光を、みなさんにお届けする」
 
だいたい、
そんな感じの意味で、広く使われている言葉、
だと、思います。


ところで、
英語の " light " には、
 「光(ひかり)」
という、名詞の意味があり、
同じ流れで、
 「明るい」
という、形容詞の意味がありますね。

と、同時に、
形容詞としては、もう一つ、
 「軽い」
という、意味もあります。

 " lighten "
という、動詞にしていただければ、
とても分かりやすいのですが、

それには、
 「明るくする」
という意味と、
 「軽くする」
という、意味があります。

つまり、
先の、『ライトワーク』というのは、

 「人々を、明るくする」
という意味であり、
かつ、
 「人々を、軽くする」
という意味であると、
僕は、とらえています。

 『ライトワーカー』
という、言葉を使えば、
それは、

 「人々を、明るくする人」
であり、
 「人々を、軽くする人」
である、
と、思います。

この言葉には、
僕は、
心を、ふるわされます。


前回の、記事「最驚のパラドックス」でも、
後半に、記述しましたが、

僕自身の体験として、
『浄化』をすると、そのたびに、
 「軽くなった」「楽になった」「スッキリした」
という実感が、たいてい、ありますし、
ときおりですが、
 「見えている世界が、明るくなる」「くっきり見えるようになる」
ということが、あります。
 
個人セッションや、浄化実践講習会で、
浄化のお手伝いを、していても、

浄化をされた後に、
 「あぁ、楽になりました!」「軽くなりました」
という、ご感想をいただいたり、

 「あぁ、視界が、明るくなりました」
 「目の前が、明るくなりました」
という体感を、聞かせていただいたりします。

また、
このように、日本語で、
「軽い」と「明るい」を、
わざわざ、明確に、区別しなくても、

こころが「軽く」なった人は、
性格的に「明るく」なりますから、

英語のように、
どちらも、同じようなものととらえても、
構わないですよね。

いずれにせよ、
『浄化』とは、

このように、まさに、
 「軽くする」
行為であり、
 「明るくする」
行為です。

『浄化』とは、
まさに、
 『ライトワーク』
そのものなのです。


いま、
振り返って、考えてみると、

以前から、
 『ライトワーク』
という言葉に、
特別な想いを持ち、感じていたのは、

このようなこと(浄化のお手伝い)を、させていただく、
「自分の『未来』」というものを、
「『自分』の中の、どこかの部分」が、
はっきりと、見据え、認識していたから、
なのかも、しれません。


さて、
僕と同じように、
 『ライトワーク』
という言葉に、特別な想いをお持ちな方、

あるいは、
その他の、
 『奉仕』『貢献』『他者への役立ち』
といった言葉に、特別な想いをお持ちな方、

そういった方々は、
この時代には、
とても多くいらっしゃることと、思います。

こころ優しい、
「『宇宙』の魂」そのままな、
素敵な方々に、
これまでに、
何名にも、出会ってきました。

津留さん交流会や、浄化実践講習会、そして個人セッションにも、
そういった方々が、
たくさん、いらしてくださいました。

なので、
このブログを、この記事を、
縁あってご覧くださってる、みなさまの中にも、
そういった方々が、多くいらっしゃることと、推測します。

そういった方々は、
もうすでに、これまでにも、
その『任務』を果たされておいでのことと思いますし、

もし、「今は、まだ」だとしても、
放っておいても、
いずれかの時点においては、
そんな、自らの『役割』を、
全身全霊で、果たされておられることでしょう。

そのご活躍、今後のご活躍、
こころより、祝福させていただきますとともに、
こころより、感謝申し上げます。


そのような方々には、
特段、お伝えすべきことも無い、
とも、思うのですが、

一方で、
自分自身の経験から、気づいたことを、
あえて、ここで、
お伝えするとすれば、
次のようなことになります。

そのような、
周りの方々への『貢献』『役立ち』を意識される方は、

一般的な傾向として、
どうしても、
 「『自分』のことを、軽視」し
 「『他人』のことを、重視」する
傾向が、おありだと、思います。

どうしても、
 「自分のことは、さておき」
 「他人のことを、する」
という傾向に、なりがちだと、思います。

 「そうすべきだ」
という想いから、
どうしても、そのような傾向になられる方も、いらっしゃるでしょうし、

そのような、想念・価値観は、無いけれど、
自然と、そのような行動をお取りの方も、いらっしゃるでしょう。

そうすることに、
ストレスがある方も、ストレスの少ない方も、いらっしゃるでしょうが、
いずれにせよ、
 「『自分』はさておき、『他人』を」
という行動様式を、お持ちのことと、思います。


究極的には、
 「『自分』のことをする」
ということと、
 「『他人』のことをする」
ということには、
差は、ありません。

どちらも、同じことです。

『自分』も、『他人』も、
同じだからです。

『自分』も、『他人』も、
無いからです。

あるいは、
 「『与えるもの』が『受け取るもの』」
だからです。


ですが、
それは、あくまでも、
 「『究極的』には」
です。

基本的には、
現在の、私たちの状況的では、
 「『自分』のことをする」
ということと、
 「『他人』のことをする」
ということとは、
『まったく同じ』というわけではありませんし、

そんな現状では、
ぜひ、
 「『自分』のことをする」
ということを、
疎(おろそ)かには、なさらずに、いただきたいのです。

 「『自分』のことに、しっかりと、責任を持つ」
 「『自分』のことを、しっかりと、大切にする」
ということを、なさった上で、
 「『他人』のことを、大切に」
なさって、いただきたいのです。

 「私は、『自分』のことを、救います」
という、津留さんの言葉を、
ぜひ、思い出して、
そして、
ぜひ、意識し続けて、いただきたいのです。


 「『他人』を救うことが、ひいては、『自分』を救うことになる」
という構造は、
真実だと、思います。

さきほども、述べたとおり、
 「『自分』も、『他人』も、同じ」
なので、
あるいは、
 「『与えるもの』が『受け取るもの』」
なので、

 「『他人』を救うことが、ひいては、『自分』を救うことになる」
というのは、そのとおりだと思いますが、

この方法は、
 「『エゴ』の残った、『エゴ』がしっかりと存在している
  現状の、私たちには、
  かなり、ハードルが高い」
方法です。

いわば、
 『荒行』
です。

効果が出たときには、
効果を実感できたときには、
そのときには、
その効果は、絶大だと、思いますが、

そこに至るまでに、
かなり強固な意志を要しますし、
かなりのストレスに打ち勝つ必要があることと、思います。


一方、
 「まず、『自分』を救う」
 「とりあえず、『自分』を幸せにする」
ということに専念する、
というアプローチは、

 「自分のことに、責任を持つ」
という、態度・認識を、明らかにするものであり、
 「自分が、幸せかどうかは、自分の責任であり、自分次第だ」
という、
『外側の世界』ではなく、『内側の世界』に、意識を向ける・向け続ける、
という態度であり、

そして、
 「自分は、自分の、『救世主』だ」
ということを、明確に認識した態度です。

それは、
 「自分のことは、自分で、満たす」
というアプローチであり、

 「自分のことは、自分で、明るくする、光らせる、輝かせる」
というアプローチです。

 「周りの人を、明るくするために、
  直接、周りの人々を、光らせる」
というアプローチではなく、

 「周りの人を、明るくするために、
  まず、自分が、光り、輝き、
  その光で、間接的に、周りの人々を、明るくする。
  その光を、周りの人々に、配り、届ける」
というアプローチです。

自らが、光り輝いていれば、
あまり意図しなくても、
その光は、周りの人々に、自然と、届くものです。

それは、いわば、
 『太陽方式』
とも呼べるような、方法です。

あるいは、
自分が満たされていれば、
自然と、その溢(あふ)れ出るものを、
他人に、分け与えることができます。

自分が不足している状態で、
他人に分け与えることは、
強固な意志力と、強い抗ストレス力(りょく)を要しますし、

そもそも、
自分でも不足しているわけですから、
他人に分け与えることができたとしても、
その量は、極めて限られたものとなることでしょう。
その量に限界があることは、自ずと、明らかです。


 『ライトワーク』
に、ご興味がおありの方こそ、
そんな方々ほど、こそ、

 「『自分』を、明るくすること」
 「『自分』を、軽くすること」
に、
専念なさっていただければと、思います。

誰でもない、ご『自分』の幸せに、責任を持っていただければ、
と、思います。

そうすることが、
そうすることこそが、
結果として、
 「『他人』を、明るくすること」
 「『他人』を、軽くすること」
に、つながります。

結果として、
そんな方法・アプローチこそが、
近道だったりします、
この、
 『パラドックスな世界』
においては。

そして、
そのときには、
そんなことが実現できたときには、

 「『自分』も、『他人』も含めた、『全体』」が、
 「『自分』も無い、『他人』も無い、『全体』」が、
明るく、軽く、なっていることと、思います。


偉そうなこと、生意気なことを、
申し上げられるような存在ではないことは、
重々承知はしていますが、

それでも、
ここ最近、
 「とにかく、『自分自身』の浄化」
に、
努めて来た結果、
専念して来た結果、

多くの方の浄化に、立ち会うことができ、
そして、
とてもありがたいことに、
多くの方々から、
 「軽くなりました」「楽になりました」
と、
感謝の言葉をいただけるようになって来て、

そんな認識を、
深め、強めています。







2014年10月12日日曜日

最驚のパラドックス


過去記事「創造のパラドックス」や、
過去記事「最大のパラドックス」など、

これまでにも、
何度か、
 『パラドックス』
という概念について、
お伝えしてきました。

このブログの、一番最初の記事も、
パラドックスについて、
でしたので、

このブログにとって、
というか、
僕にとって、

 『パラドックス』
というのは、
とても「キー」になるもの、
とても「ポイント」となる概念、
なのだと、思います。

いえ、
というか、
そもそも、
 『津留さんが伝えてくれたメッセージ』
にとって、

 『パラドックス』
というのは、
とても「キー」になる概念、
ですよね。


さて、
今回も、
そんな流れで、

 『パラドックス』
ということに関して、
まだ、お伝えしていなかった、
とても重要だと思うことについて、
お伝えしたいと思います。


まず最初に、
今回、主としてお伝えしたいことからは、
少し、離れては、いますが、

僕が、「大好きな『パラドックス』」^^
について、
お伝えします。


今、目の前の空間を、見てください。

そこには、
 『空間』
が、存在していることでしょう。

そこには、
 『何も無い』
のですが、

あるいは、
私たちは、普段、
そう、『認識』していますが、

でも、本当は、
この『物質界』にとって、
あるいは、
『人間の肉体』にとって、

最も重要な、
 『酸素』
というものが、
遍満しています。


 『何も無い』
と認識している所に、

 『最も重要なもの』
が、
 『満ちあふれています』。


もしかしたら、
みなさんは、
 「いや、そもそも、
  目の前の『空間』には、『空気』が存在している
  と、いつも、認識しているよ!」
と、
お思いかもしれません。

それでは、
続けて、
その、目の前の『空間』を、
もう一度、『見て』みてください。

それは、
 『何色』
ですか?

おそらく、
 『透明』
だと、思います。

さて、
 「その『透明』」
というのは、
 『どんな色ですか?』
 『何色が、存在していますか?』

 『無色透明』
という言葉があるくらいですから、
おそらく、
 『無色』
 『何も、色が存在しない』
と、
認識なさっておいででは、ありませんか?

僕は、
普段、
『無意識』だと、
そう、認識してしまっています。

でも、
その『透明』な空間に、
太陽光線が差し込んでいると、
とても分かりやすいのですが、

そこに「プリズム」を持ってくると、
そのプリズムからは、
七色の光が、現れ出て来て、

実は、
 『透明』
とは、
 『全色』
であり、
 『すべての色が存在している』状態だ
ということが、分かります。

個人的には、
この事例が、
 「最も典型的な『パラドックス』の例」
だと、
思っています。

私たちが、
 「一般的に、普通に、認識していること」
 「通常の肉体感覚で、認識すること」
それらと、
 『事実』
と、が、
見事に、
 「逆転している・ひっくり返っている」
んですね。


さて、
このように、
『地球』は、
あるいは、
『物質界』『物質宇宙』は、

 「『パラドックス』な構造」
を、採っています。

いろいろなものが、
 『ひっくり返っている』
 『左右逆さまになっている』
状態です。

過去記事「最大のパラドックス」
でお伝えしたように、

私たちは、
 「神さまに『成る』」
のではなく、
 「そもそも、神であり、
  神に『還る』」
存在である、
ということ。

あるいは、
 「外側に、厳然たる『事実』『真実』が存在している」
のではなく、
 「外側には、内側が、『映し出されている』」
のだ、
ということ。

そういうことが、
 「一般的な認識」
あるいは、
 「通常の肉体感覚」
からは、
 逆転している・ひっくり返っている
んですね。


そして、
今日、お伝えしたいこと。

これは、
津留さんが、講演会DVD「新創世記『横浜編』」の中で、
言っていたことなのですが、

私たちは、
 『過去』と『未来』
に、ついても、
実は、
 「ひっくり返して」
認識しています。


まず、
 『未来』
について、ですけれども、

たとえば、
私たちは、「心配だから」とか、
あるは、「より良くするために」とか、で、

未来のことを考え、
そして、
未来の計画を立てたり、しますが、

『未来』のことを『計画』するときには、
私たちは、
『過去』のデータを、参考にします。

そのとき、
参考にしているもの・参照しているものは、
すべて、
 『過去』
なのです。

つまり、
私たちは、
津留さんの表現を、そのまま使えば、
 「『未来』に、『過去』を、持ってくる」
のです。

せっかく、
 「『未来』を、より良きものにしよう」
と、意図し、腐心(ふしん)しているのですが、

その結果、
何をしているのか、というと、

『過去』を、『未来』に持って来て、
あるいは、
『過去』を、そのまま、『未来』にまで、引っぱって来て、

その結果、
 「『過去』と、『今まで』と、変わらぬ『未来』」
を、
創り上げているんですね。

これまた、
 『パラドックス』
ですねぇ。

 「『未来』のことは、『未来の自分』に任せよう」
 「『全体としての自分』に任せよう」

『未来』のことを、
心配しているとき、気にしているとき、考えているとき、
最近、僕は、
そう、『自分』につぶやくように、しています。

もちろん、
その、
 「心配している『自分』」
の浄化も、
行っていますが ^^ 。


さて、
そして、
 『過去』
について、ですが、

私たちは、
 「『過去』は、『変えられない』もの」
と、思っています。

 「『過去』とは、確定したものであり、『変えることができない』ものである」
と、思っています。

そう、思っていませんか?

実は、
そここそが、その認識こそが、
今日、一番お伝えしたい、
 「もっとも驚くべき『パラドックス』」
なのですが、

 「『過去』は、『変えられます』! 」 ^^


確かに、
 「『あるがままの事実』としての『過去』」
は、変えられないかもしれません。

いえ、
それも、
「ほとんどの人」にとっての、「ほとんどの『過去』」というのは、
 「単なる『記憶』」
に過ぎないので、

今となっては、もう、
 「証明・立証のしようの無い『事実』」
であり、
それゆえ、
 「書き換えてしまう」
というによって、
変えてしまうことは、可能でしょうし、

そもそも、
その
 「『記憶』としての『事実』」
が、
本当に、
 『あるがままの事実』
と、一致しているのか、についても、
 「そもそも、怪しい」
ということも、
言えるかもしれません。

でも、
ここでは、
それらの点については、置いておきます。


確かに、
 「『あるがままの事実』としての『過去』」
は、変えられないかもしれません。

ですが、
それらの『過去』の事実に、
くっつけている・付着させている・結びつけている、
 『印象』『記憶』『感情』『想い』『評価』
は、
 『変えられます』。

 「苦しかった」過去
 「辛かった」過去
 「不本意だった」過去
 「情けなかった」過去 
 「悔しかった」過去
 「悲しかった」過去
 「寂しかった」過去
 「怖かった」過去 ...

そういった『過去』は、

それらの『印象』や『感情』や『想い』といったものを、
たとえば、『浄化』によって、
消し去り、手放し、解放する、ことによって、
『変える』ことができます。

基本的には、
それらの『過去』は、
 「『ただの』『単なる』過去」
に、変わります。
変えることができます。

 「『苦しかった』過去」
は、
 「過去」
に、変わります。

 「『辛かった』出来事」
は、
 「出来事」
に、変わります。

そして、
そうすると、往々にして、
それらは、
 「今となっては、『貴重』な過去」
 「今となっては、『教訓深い』過去」
 「今の自分からすれば、『学び』のための貴重な経験としての過去」
というように、

そこから、さらに、
むしろ、『ポジティブ』なものに、
変わっていく・変わって感じられるようになっていく、
というケースが、多い、のですが、

そうなるにせよ、ならないにせよ、
いずれにせよ、
その
 「『過去』そのもの」
が、
変わってしまいます。


で、
そうなると、
どうなるのか?

 「『とても辛い』過去」
 「『とても悲しい』過去」
そんな『過去』なら、

それが、一つ、変わるだけで、

つまり、
それらが、
 「辛くなくなる」「悲しくなくなる」
だけで、

『今』という瞬間が、
 「楽になる」「軽くなる」「明るくなる」
ことと、思います。

つまり、
 『今』
までが、
変わります。

個人セッションや、浄化実践講習会で、浄化をお手伝いしていて、
M2の後に、
 「あぁ、楽になった」「気持ちが、軽くなった」
 「肩の辺りが、軽くなった!」
 「視界が明るくなった」「くっきりと見えるようになった」
というご感想は、

ここ最近、
とてもよく、お聞きしますし、
同じ体験は、
僕自身も、何度か、しています。

もちろん、
その印象・感覚は、
その後も、続きます
(その場限りのものでは、ありません)。


そして、
もし、

 「一つだけ」
ではなく、
さらに、
 「いくつか」
 「いくつも」
そんな『過去』が変わると、

 『今』
が、
 『確実』に、
 『大幅』に、
 『顕著』に、
変わります。

僕自身の経験で言うと、
そのときの、僕の経験した体感で言うと
(それは、数度、あるのですが)、

その、
 「いくつか」
の、変化した過去については、

それらは、
各々、
一枚一枚の、「オセロの『駒』」のような感じで、

それらが、
一回、一回の、『浄化』に連れて、
一枚、一枚、徐々に、
裏返り、変わっていくような感覚で、

そして、
それが、
 「数枚」
になると、
ある程度の、枚数になると、

そのときには、
まるで、
オセロの駒が、
 ダダダダダダダダダダダダダダダダ ...
と、

過去から、今に至るまでの、
すべての、ネガティブだった、『黒』の『駒』が、
 ダダダダダダダダダダダダダダダダ ...
っと、
すべて、『白』に裏返る、かのように、

自分に向かって、
すべての『駒』が、
連なって、連続して、
 ダダダダダダダダダダダダダダダダ ...
っと、
反転していくかのように、
変わっていく ...

そんな、感覚を、
感じられることと思います。


そうなると、
もちろん、
 『過去』
の認識、そのものが、
 「自分の『過去』」全体
の印象、そのものが、
大幅に、変わりますし、

 『今』
が、
 確実に、大幅に、
変わります。

 『過去』
についての認識が、
 「いろいろあったけど、あれは、あれで、いいじゃん」
 「あれは、あれで、仕方ないじゃん」
 「あれは、あれで、よかったんじゃない?」
というように、変わりますし、

 『今』
が、
 ほんわりとした
 温かい、柔らかい、細かい、滑らかなもの
に、変わります。


そして。

 『今』
が、
 『今』という、この瞬間
が、
大幅に変わった、
その結果、

加えて、
 『未来』
までも、が、
変わります。

 「『今』『この時点』から見る、感じる、
  『未来』というもの、『未来』という存在」
それすらも、
変化していきます。

 「楽になった・軽くなった・明るくなった『今』」
から見る『未来』は、

確実に、大幅に、
楽に、明るく、なります。


 「『そのとき』から見た、未来の事象が、
  『その』未来という瞬間がやって来たときに、
  実際に、変化するかどうか」
は、
関係ありません。

『その』未来という瞬間がやって来た『時』には、
そのときには、
その『時』は、もう、
 『今』
であり、
 『未来』
では、ないからです。

そのように、
そして、よく言われるように、

 『未来』
というのは、
 『概念』
でしかなく、
 『頭の中にしかない』
ものだから、です。

つまり、
『未来』に関しては、
 「『今』、この瞬間の、
  『未来』に対する認識が変われば、
  それで、すべて」
なのです。

そして、
それは、
確実に、変わります、

『過去』を変える、その結果 ...


このように、
 『過去』は、『変えられる』
のであり、

かつ、同時に、
 『過去を変える』ということが、すなわち、『未来を変える』方法
なのです。

それは、
 パラドックスな構造を採った、この物質世界における
 驚くべき、嬉しき、『事実』
だと、
僕は、感じています。











2014年10月10日金曜日

赤いスイトピー


今日、
個人セッションの最中、
娘を、幼稚園に迎えに行くために、
席を離れました。

表に出ると、
そこは、
晴れて、柔らかな陽射しが垂れ降り、
心地のよい、爽やかな、空気で満ちていました。

そんな中、
道を歩いていると、

あるメロディーが、自然と、
自分の口から、こぼれ出ていました。

 「赤いスイトピー」
でした。

イントロから、
つまづくこと無く、
途切れること無く、
流れ出ていく、メロディー。

自分で言うのも、何なんですが、
滑らかに、
伸びやかに、
流れ出し、響き渡る、
その音色に、

何のためらいも無く、
何の戸惑いも無く、
何の抑えも無く、
ただ、あふれ出ていく、
その音色に、

自分のハートが、
柔らかく、温かく、
極めて細かく振動する様子を感じ、

目は、
温かく、心地よく、
潤ってきました。

その曲の、素晴らしさを、
はじめて、
ただ、純粋に、
味わっていました。

こころから、
純粋に、
そのバイブレーションそのものを、
味わっていました。


松田聖子さんは、
僕にとっては、
少々年上で、

僕自身の世代にとっては、
「ど真ん中」なアイドルではありませんが、

それでも、
彼女が、はじめて、世間一般に登場したときから、
リアルタイムで、見ていましたし、
その活躍ぶりは、
はっきりと、記憶しています。

そんな世代の僕にとって、
『松田聖子』という人物は、
ある意味で、
『特別な人』の、一人です。

おそらく、
同世代の人々の、ほとんどが、
彼女のことを、
 『好き』か『嫌い』
かで、

あるいは、
『かつては』、
 『好き』か『嫌い』のどちらかだった
で、

 『知らない』とか『どっちでもいい』
という人は、
ほとんどいないのではないか、
と、思います。

少なくとも、
男性として、
しかも、
多感な時期に、
彼女が、『トップアイドル』として、
登場し、君臨していた、
という経験を持つ、僕らの世代の『男子 ^^ 』は、みな、

彼女のことは、
 『好き』か『嫌い』
か、
どちらかだった、と、思います。

そういう意味で、
特別な人、です。


ところで、
僕自身は、
先の話と矛盾するようですが、
本当のところは、
特に、好きでも嫌いでもなかった、のですが ^^; 、

ただ、
これまた、よくあることだと、思いますが、
多感な時期の『男子』として、

 「『好き』あるいは『大好き』でないものは
  すべて、『すっごく嫌い』」
みたいな、
なんか、それを『カッコいい』と誤解したような、
そんなスタンスを、とっていましたので ^^; 、

それゆえに、
基本的には、彼女のことは、『嫌い』でした。

というか、
より正確に言えば、
 「僕は、彼女のことが、『嫌い』なんだ」
と、
思い込んでいました。

あるいは、
そう、記憶していました。

あるいは、
『そういう記憶』を、持っていました。

なので、
つい最近まで、すっかり、
 「僕は、彼女のことが、『嫌い』」
だと、思っていました。


ところが、
比較的最近、
彼女の、当時の歌を、耳にする機会があって、

それとほぼ同時に、
当時の自分のことを、深く振り返る機会があって、

実は、
彼女の『良さ(可愛らしさ・美しさ、歌の上手さ)』や、
彼女の歌の『良さ(楽曲の良さ、歌の上手さ)』を、
当時においても、『感じて』は、いながら、

でも、
『カッコつけるため』に、というか、
友人・周囲から『バカにされないため』『からかわれないため』に、
彼女のことを『嫌っていた』んだ、
ということを、
思い出しました。

そんなことを、していたことを、
思い出しました。


そんなことを、思い出した後の、
今日の、午後。

なぜ、
そのメロディーが、
自分の口をついて出たのか、については、
まったく、
分かりません。
見当もつきません。

ただ、
流れ出て来た、その音を聞き、

温かく、柔らかな、空気を伝って、響き渡る、
そのメロディーを耳にして、

まず、
 『嫌い』な歌手の曲ゆえに、
 なんか、『嫌い』だ
と、認識していた曲を、

 自分が、
 何の想いも無く、
 ただ、
 吹いている
ということに、
気づきました。

何の想いも無く、
ただ、吹いているときの、
その、口笛の、音色は、

自分で言うのも、不思議ですが、
とても美しく、
伸びやかに、
細やかに、滑らかに、
響き渡っていました。

そして、
その音を聞いて、

そのメロディーの美しさに、
ただ、
感じ入っていました。

そのメロディーが、
自分の口から、送り出されていることに、
宇宙に向かって、解き放たれていることに、
誇りすら、感じていました。

それは、
ただ、美しく、
ただ、細やかでした。

幼稚園に着くまでの道中、
人目を気にせず、
ただ、吹き続けていました。


私たちは、
普段、
自分で、勝手に、

さまざまな『想い』を、
さまざまな『考え』を、
『善し・悪し』を、
『好き・嫌い』を、

物事に、くっつけて、
見ています、
とらえています、
認識しています。

その結果、
その物事を、
その、あるがままに、
そのもの、そのままに、

見て、とらえて、認識する、
ということが、
できていません。

例えば、
私たちは、
誰か、人に、はじめて会うと、
必ず、
 『第一印象』
というものを、持ちます。

その内容が、
ネガティブなものであれ、ポジティブなものであれ、

あるいは、
それが、後に、
変わることがあるにしろ、
変わらないままであるにしろ、

いずれにせよ、
私たちは、
必ず、
 『印象』
というものを、持ちます。

『印象』『感じ』『感覚』を、
人に、物に、現象に、
付加して、持ちます。
そして、
持ち続けます。

決して、
それ、そのものを、
そのまま、それだけで、
見る、認識する、
ということが、ありません。

まず、
そのことを、
そうしているという事実を、
認識すると、

その、付加していた、くっつけていた、
 『印象』『感じ』『感覚』『想い』『考え』
を、
取り外すことができます。
できるようになります。

そうすると、
物事を、あるがままに、そのままに、
認識することができるようになります。

僕の場合、
 『嫌いだ』と、認識していた歌手の歌を、
 『あるがまま』に、『そのまま』に、
 口笛で、吹いてみたら、

 その美しさたるや、
 宇宙をふるわすほどのものであった ...

そんな、
美しくも、こ恥ずかしい体験を、

秋の、爽やかな晴れ間に、
 「全体たる『自分』」
から、
プレゼントしてもらいました。





( 追伸:
  この記事を、アップした後、気になって、ググってみたら、
  作曲は、松任谷由実さん、なんですね。
  なんか、へんに、納得してしまいました ^^ )











2014年10月9日木曜日

皆既月食に(2014年10月8日)


昨晩の皆既月食は、
ご覧になられましたか?

僕らのいる地域では、
欠け始めから、欠け終わりまで、
雲が一切ない、快晴の中で見られ、

その後、
再び満ち始める頃から、
うっすらと、雲が漂い始め、

半分ほど、満ちてきたときには、
厚い雲に隠されて、
見えなくなりました。


欠け終わりから、
皆既月食の終わり、
そして、再び満ち始め、輝き始めた頃は、

比較的、しっかりと、写真に収められましたので
(といっても、暗いレンズで、これが限界でした ^^; )、
シェアさせていただきます。




もう少しで、欠けきるところ



皆既月食の終わり



再び、輝きはじめたところ




この皆既月食は、
2014年10月8日、

二十四節気の「寒露」で、
六曜の「大安」、
という日に行われましたね。


先々週の、
9月27日には、
木曽御嶽山の噴火があり、

今週はじめには、
皇室と出雲大社との結びつきがあり、

その翌日には、
台風の上陸がありました。


そんな、流れの中での、
皆既月食。

この日には、
また、
ある、特別な場所で、
ある、特別な、『光』のイベントが執り行われました。

この夏以降、
世界の、さまざまな紛争地域に、もたらされて来た『光』が、

また、新たに、
日本の、その大切な場所に、もたらされました。

そして、その『光』は、
これまでにも、
日本各地の、重要な場所場所に、納められて来ています。


それらが、
互いに、繋がり、結びつき、

新たな、「『光』の線」が引かれ、
そして、
それらが、「『光』の面」となって、

新たな、新時代の、
「『光』のネットワーク」を築き上げていく ...


そんな流れにおいて、
とても重要な、基点となる、
 「光の交代劇」
 「光の更新劇」
が、
昨夜の皆既月食だったのではないか ...

 満ちた光が消え行き、消え去り、
 そしてまた、
 新たな光が満ちていく

その様子を眺めながら、
そんなことを、感じていました。








2014年10月8日水曜日

写真・鹿児島旅行記


今回の、鹿児島イベントに際しては、
いろいろなことが、
まさに、『起こりました』。

イベント(浄化実践講習会・個人セッション)だけでなく、
その他にも、
とても貴重な体験を、
数多く、しました。

その詳細を、
文章で、お伝えしようかとも思いましたが、

多分に、
『個人的』な側面もあるし、

なにより、
うまく、文章にすることができませんでした。

そこで、
特に、心に残ったシーンを、
写真で、お伝えしようと思います。

写真でお伝えすることは、
すんなりと、できそうなので、

ご覧いただくことは、
これらを見る機会・ご縁があった、みなさまにとっては、
『何か』、意味のあることなのだと思います。

どうぞよろしくお願いします。


集合人編集局
 ひで





上空からの、富士山(9月26日)



上空からの、八ヶ岳(9月26日)




木曽御嶽山についての、噴火翌日(28日)の、鹿児島での、報道
( 同じ画面に、桜島噴火の報道も見られる )



ホテルの部屋から見た、日の出の様子(9月28日)



翌日宿泊したホテルから見られた、同じ、28日の日の出の様子




ホテルの露天風呂から見た、日の出の様子(9月29日)




霧島神宮(9月29日の夕方)




高千穂峰(9月30日)



天の逆鉾(9月30日)