2015年8月30日日曜日

そもそも、なぜ、「仕事」を『しなければならない』と思っているか?(『仕事』についての補足2)


前回の記事(「「しなければいけない」こと(『仕事』についての補足)」)では、
前々回の記事(「「仕事」に関して、お悩みの方へ」)の補足を、
書かせていただきました。

ところが、
そもそも、そこで、一番お伝えしたい、と思っていたことを、
お伝えし忘れてしまっていました ^^; 。

そこで、今回は、
「補足の補足」 ^^ を、書かせていただきます。


さて、
おさらいですが、

「仕事」に関して、悩みや苦しみを、お持ちの場合、
その原因は、『本質的』には、
 「(その)仕事を『しなければならない』と思っている」
ということにある、
というのが、はじめにお伝えさせていただいたことです
(よろしければ 「「仕事」に関して、お悩みの方へ」 をお読みください)。

そして、その、
 「仕事を『しなければいけない』」
 「しないわけにはいかない」
と感じる感覚を、
浄化によって、手放してください、
と、お伝えしました。


で、
今回の、「補足の補足」ですが、

では、
そもそも、なぜ、わたしたちは、
 「『仕事』を、『しなければならない』と思っている」
のでしょうか?

「仕事」に関して、浄化をしていただく場合には、
ぜひ、その部分まで含めて、
なさってみてください。

より深い、よりしっかりとした、浄化を、
行うことができると思います。


で、
では、なぜ、でしょうか?

なぜ、
 「『仕事』を、『しなければならない』」
と、思っているのでしょうか?

その理由は、
細かく言えば、さまざまで、
みなさん一様ではない、と、思います。

ですが、
大別すれば、次の二つに、分けられると思います。

一つは、
たとえば、
 「大人になったら、働かなくてはいけない」から
とか、
 「仕事を通じて、社会に貢献してこそ、人として価値がある」
 「仕事で、人の役に立ってこそ、生きるに値する」
とか、
 「男たるもの、仕事をして、はじめて、人として認められる」
 「男は、仕事・会社で、その価値が決まる」
とか、

そのような理由で、
「『仕事』を『しなければならない』」と、
思っていらっしゃる場合です。

それらの場合には、
 「『仕事』というもの、そのもの」
のことを、『しなければならない』と、認識している、
と、言えます。

そして、さらに言えば、
それらの場合には、
 「働かざるもの、食うべからず」
 「ひとの役に立ってこそ、意味がある」
 「『すること』『行為』によって、人の価値が決まる」
というような、
より深いところにある、より根本的な価値観から、
それらの想いが来ている、
という場合が、ほとんどだと思います。

言葉を換えれれば、
津留さんが言うような、
 「人は、『存在』そのものに、価値がある」
とは、思えていない、
ということが、原因になっている、と言えます。

 「人は、『行動』しなければならない」
 「そして、その『行動』『行為』によって、価値が決まる」
という、価値観です。

 「だから、何かをしなければいけない」
 「人の役に立たなければいけない」
 「誰かに喜んでもらわなきゃいけない」
 「(あの人に)認められなきゃいけない」
そんな想いが、
深くに、常に、潜んでいませんか?

そのような場合には、
 「『仕事』を『しなければならない』」
 「働かなければいけない」
という、『仕事』に関する浄化を行うとともに、

それらの価値観そのものも、
ぜひ、同時に、浄化なさってください。


そして、もう一つの場合です。

僕自身の経験や、
あるいは、
個人セッションに来てくださった方々のお話からすると、

けっこうな割合で、
そう思われている方がいらっしゃるのではないか、と思うのですが、

仕事『そのもの』のことは、
実は、さほど、『しなければならない』とは、感じてはいなくて、

むしろ、
 「仕事をして、お金を稼がなくてはいけないから」
 「仕事をしないと、お金が得られないから」
 「『だから』、仕事をしなければいけない」
と、お感じになってらっしゃる、
という、場合です。

つまり、
 「『仕事』とは、『お金』を稼ぐ手段」
であり、
 「『仕事』をする理由は、『お金』にある」
と、感じてらっしゃる、
という場合です。

 「『お金』が必要だから、
  『お金』がないと、生きていけないから、
  だから、そのために、『お金』得るために、
  『仕事』を『しなければいけない』」
そう、思っておられる、
ということです。

試しに、ここで、
 「もし、『お金』のことが心配なかったら、『お金』が無限にあったら、
  自分は、『仕事』をするだろうか?」
と、ご自分に問いかけてみてください。

 「『お金』があるんなら、『仕事』なんかしないわ」
と、
お思いになりませんか?

その場合には、
『仕事』をされている理由は、
『仕事』を『しなければいけない』と思われている理由は、
『基本的』には、100%、『お金』にあります。

その場合には、
『お金』のことほうが、『仕事』よりも、
より、ベースにあります。
より、根本にあります。
より重い、より重大なこととして、握っておいでです。

 「『仕事』を『しなければいけない』」
ということからくる、悩み・辛さ・ストレスなんかよりも、
 「『お金』がないと、生きていけない」
 「『お金』がないと、どうにもならない」
ということのほうが、
断然、深刻で、重大で、大問題です。

そして、その場合には、
『仕事』の辛さ・苦しさ・悩みを浄化するためには、
『仕事』そのものに関して、浄化するだけでなく、
『お金』に関する浄化も、必須となってきます。

むしろ、
『お金』に関する浄化『こそ』が、重要になってきます。

このことを、しっかりと認識していただいた上で、
『仕事』に関する浄化を行い、
同時に(続けて)、『お金』に関して浄化を行うことが、

とても効果的で、
とても根本的な、
よりしっかりとした浄化を、行うことができます。


多くの方にとって、
いえ、ほとんどの方にとって、

『仕事』と『お金』とは、
きわめて密接に結びついていて
(場合によっては、完全に連結していて)、

そして、
多くの方にとっては、
『仕事』よりも『お金』のほうが、
よりベースにある、より重い、より根本的な、
価値観・ブロックと、なっています。

そして、
『仕事』のことを軽くしていくためには、
『お金』のことも、同時に、浄化していく必要があり、

また、
『お金』のことが軽くなってくると、
そのときには、自然と、
『仕事』のことが、とても軽くなっている、
という、流れになっていることと、思います。

個人的な見解としては、
このことは、強調しても強調し過ぎることは無い、
とすら、思います。

どうぞ、ご自身の浄化の際には、
ご参考になさってみてください。









2015年8月26日水曜日

「しなければいけない」こと(『仕事』についての補足)


前回、
「仕事」について、「『仕事』に関する悩み」について、
書かせていただきました
(よろしければ 「「仕事」に関して、お悩みの方へ」 をご覧ください)。

今回は、
それについて、いくつか、補足をさせていただければと、思います。


さて、前回お伝えした内容を、一言で言えば、

 「『仕事』に関する悩み・辛さは、
  『仕事』を、『しなければならないこと』と認識していることに、起因している」

ということです。

もちろん、
その仕事の「内容」であったり、「上司」「同僚」であったりが、
『表面的』な問題ではあるのですが、

しかし、
その『本質的』な問題は、
ご自身がお持ちの
 「しなければいけない」
 「やらなければいいけない」
 「しない訳にはいかない」
という、認識です。


この点に関して、
津留さんが言っていた「例」を、いくつか、以下に、
お伝えしたいと思いします。

お伝えしたいことを、
より、ご理解していただけやすいのではないかと思います。

 「主婦のみなさんは、たいてい、食事を作るのが、苦痛です。
  でも、結婚前は、その彼に、
  頼まれていもいないのに、ルンルンしながら、料理を作ってあげたでしょ?
  そのときには、楽しかったでしょう? ^^」

 「(小さな)こどもは、何をしていても、楽しそうです。
  それは、こどもには、『しなければいけないこと』が、ないからです。
  だから、何をしても、それは、『しなくてもいいこと』をしているのです。
  こどもは、すぐに、『わたしもやる!』と言って、家事を手伝おうとしますね。
  そして、それを、本当に楽しそうに、やりますね。」

 「『しなくてもいい』けれど、していること、のことを、
  『趣味』と呼ぶのです。
  だから、趣味は、楽しいのです。」

苦しい・辛い、幸・不幸に関しては、
 「『何』をするか」
よりも、
 「その『すること』を、『どう認識してしているか』」
が、重要である、
ということを、その可能性を、
どうぞ、認識・検討なさってみてください。


また、その正反対のような事例についても、
ここで、お伝えさせていただきます。

以前、このブログで、
 「浄化をしていたら、テレビゲームばかりしていた弟さんが、働き出した」
という体験談を、ご紹介させていただきました
(過去記事「いただいた、個人セッションのご感想」)。

その方から、その後、
もう少し、詳しいお話を、お伺いすることができました。

その弟さんは、以前、
寝ても覚めても、テレビゲームばかりを、なさっていたのだそうです
(なにか、前回の、「ゲームオタク」の例と、そっくりで、
 興味深いですね ^^ )。

そのことに対して、その弟さんの状態に対して、
それまでは、ずっと、
咎(とが)めの気持ちを、お持ちだったのだそうです。

ところが、
そのことに対して、浄化を徹底的に行った結果、
その咎めの気持ちが、困ったという認識が、
いつしか無くなり、

そのうちに、
 「よ〜し、やれやれ。思う存分、やれ!」
とさえ、思うようになり、
実際に、そう声をかけて、応援もされたのだそうです ^^ 。

その結果、弟さんも、
 「おう、やるやる!」
と、心置きなく、思う存分に、ゲームを遊び ^^ 、

そして、ゲームをさんざんやり尽くした結果、
 「もう、飽きた」
と言って、
そして、ちょうどそのタイミングで、友人から仕事を紹介され、
そして、その仕事を、することにされたのだそうです。

それはまるで、
蝶々が、
「菜の葉」に飽いて、「桜」に止まるように、
その弟さんは、
「ゲーム」に飽きて、「仕事」を始められたのです。

「仕事」というものを、『しなければいけないこと』と認識していない、
その弟さんにとっては、
「ゲーム」と「仕事」は、
等価なのですね。
違いは、無いのですね。

そうすると、
「ゲーム」をすることと同じように、
「ゲーム」に飽きたからと、「仕事」をできるのです。

そして、そうすると、
「仕事」をすることは、苦しくないのですね。

案の定、
その弟さんは、現在、楽しそ〜に、仕事に行かれているそうです ^^ 。


もちろん、
その弟さんが、いつ、その仕事を辞めてしまうかは、分かりません。

ゲームを止めたときのように、
 「飽きた」
といって、突然、サッと、辞めてしまうかもしれません。

でも、
そんなだからこそ、

「仕事」を、『しなければいけない』『続けなければいけない』と、
認識していないからこそ、

仕事が、苦しくないわけです。
仕事が、楽しいわけです。


とても興味深く、
そして貴重な実例を、
ここに、みなさまに、シェアさせていただきます。









2015年8月24日月曜日

第3回 大阪イベント 開催のお知らせ


 2015年10月16日(金)、17日(土)、18日(日)、
 大阪で、3回目となる、
 『浄化実践講習会』・『個人セッション』を行います。
 
 10月17日、津留さんの命日。
 この日に、大阪でイベントをすることができることを、
 とても嬉しく思います。

 またふたたび、
 大阪のみなさん、関西地区のみなさんにお会いできることを、
 こころから、楽しみにしています。
 どうぞよろしくお願いします。


 詳細・お申し込みは、『 第3回 大阪イベント 』 のページをご覧ください。


2015年8月24日 集合人編集局 裕子・ひで







2015年8月1日土曜日

「仕事」に関して、お悩みの方へ


「仕事」に関して、
悩み・苦しみ・辛さをお感じの方は、
とても多くいらっしゃるのではないか、と思います。

僕にとっても、
「仕事」は、一番大きい、「悩み・苦しみ」の一つでしたので、
そのお気持ちは、よく分かります。

また、
個人セッションに来てくださる方の、ご相談内容としても、
やはり、とても多い、テーマですし、

僕個人としても、
浄化によって、相当に楽になった今でも、なお、
やはり、「仕事」に関しては、悩みや不安を感じますので、

「仕事」というのは、
「お金」や、
「親子関係」「夫婦関係」、「人間関係」、
そして「病」「健康」などとともに、
現代における、悩み・苦しみの、主要テーマの一つ、なのでしょうね。

ただ、幸いなことに(「不幸中の幸い」なことに?)、
このテーマにこそ、
『浄化』という手段は、とっても効果があります。

これまでに実践された方々からお聞きした事例からも、
個人セッションにおいて、お手伝いをさせていただいたケースからも、
なにより、自分自身の体験からも、
そう、確信しています。

ですので、
「仕事」というテーマについて、
津留さん的な見解、『浄化』によるアプローチを、
ぜひ、ここで、お伝えさせたいただきたいと思います。


それに当たっては、
まず、最初に、
次のような実話を、ご紹介させてください。

とっても参考になる、実例として実に素晴らしいお話で、
この事例を頭に入れていただくと、
その後の説明が、とてもスムースになりますので、
少し長くなってしまいますが、
まず最初に、どうぞお読みください。


それは、あるテレビ番組で紹介されていた、
ある、ゲームオタクの男性についての、話です
(見たのが、ずいぶん昔なので、詳細については、記憶違いがあるかもしれません)。

それは、日本でのことではなく、
たしか、カナダでのこと、だったのですが、

その男性は、
テレビゲームが、大好きで、
いわゆる、引きこもりの状態で、
寝ても覚めても、ゲームをしている人でした。

そして、
それほどやっていたからか、腕前もすごくて、
同じような興味を持つ人たちの間では、
有名で、一目置かれるような存在でした。


あるとき、
彼の元に、連絡が入ります。

ゲームソフト会社からでした。

その会社は、
テレビゲームのソフトウェアを、作っているのですが、
彼の腕前を見込んで、
彼に、仕事を依頼します。

 社員として、
 発売前の製品の、チェックをしてほしい

というのが、その、内容でした。

テレビゲームのソフトは、
膨大な量のプログラムを組んで、作るものなので、
慎重に作っていても、
どうしても、ミスが生じてしまいがちです。

また、それをチェックする段でも、
プログラムを読んでいるだけでは、
どうしても、気づきづらいミスが、あります。

なので、実際に、ゲームとしてプレーしてみて、
そのうえで、不具合が無いかどうかを、
確認する必要があります。

いわゆる、「バグチェック」です。

そして、そのためには、
あらゆる場面、いえ、すべての場面に行き、
そして、すべての動作をしてみて、
そして、ちゃんと動作するか、不具合が無いか、を、
確認する必要があります。

なので、
その確認のためには、
その腕前が優れた、ゲーム好きの人物が、適任です。

そのため、
その会社では、それまでにも、
多くの、名の通ったゲーマーたちを、雇い入れ、
そして、発売する商品のバグチェックを、してもらっていました。


そして、今回、
その彼に、お呼びが掛かった訳です。

彼は、大喜びで、受諾します。

だって、やることは、ゲームをするだけです。
いままでやっていた通りに、
大好きなゲームを、するだけです。

それで、お金がもらえます。

しかも、これまでは、
 「仕事もしないで、家に閉じこもって、ゲームばっかりして ... 」
と、言われて、「ろくでなし」扱いだったのに、
これからは、立派な社会人です。

もう、そのようなことを言われなくて済むし、
もう、肩身の狭い思いをしなくて済みます。

さらには、
 「あの会社に、雇われた!」
という、仲間からの、賞賛・名誉も、手に入ります。
発売前のゲームを、一足先にできる、という、楽しみもあります。

意気揚々と、会社に乗り込み、
得意げに、自らの腕前を披露する、彼の姿がありました。


そして、2ヶ月後。

会社には、彼の姿は、ありませんでした。
彼は、もう、その仕事を辞めていました。

理由は、
 「つまらないから」
 「苦しいから」「たいへんだから」
というものでした。

つづけて、ナレーションで紹介されていたところによると、
彼だけではなく、
そのようにして雇われた、バグチェック係の多くは、
1ヶ月、2ヶ月と持たずに、辞めていくのだそうです。


とても興味深い話だと、思いませんか?

改めて、確認したいと思いますが、
彼が、仕事として行っていたことは、

 テレビゲームを、プレーすること
ただ、それだけです。

『ゲーム』です。
それをするだけ、です。

しかも、それは、それまでにも、ずっとしてきていたことで、
そして、彼は、それが、元々、大好きでした。
寝る間も惜しんで、ずっとずっと、やっていました。

親から、他人から、何を言われようと、
 「好きだから」
と、ずっと、やっていたことです。

しかも、彼は、それが、得意でした。
とても上手でした。
自然と、その評判が、世間に広がっていくほどの、腕前でした。

それなのに、
彼は、2ヶ月もしないうちに、
それが、「つまらなく」なり、「苦痛」になり、
最後には、辞めてしまいました。

以前は、
「タダ(無収)」で、自ら勝手に、やっていたことなのに、

まったく同じことをして、
収入が得られ、
親や世間からの、承認も得られ、
仲間うちからの、羨望も得られるようになったのに、

それにもかかわらず、
彼は、辞めてしまいました。

そして、さらに興味深いことに、
辞めてしまうのは、彼だけではありませんでした。
多くの人たちが、同様に、辞めていくのでした。


それでは、
一体、なぜ、彼(ら)は辞めてしまったのでしょうか?

一体、何が、起こったのでしょうか?
一体、何が、以前と、変わったのでしょうか?


細かく言えば、
変わったことは、いろいろとある、とは、思います。

ですが、彼(ら)が、
 「仕事を辞めてしまった理由」
ということ関して言えば、

津留さん的な解釈では、
基本的には、
それは、ただ、一つ、です。

それは、
ゲームが、
 『やらなければいけないこと』
に、変わったのです。

これまでの、
 「やりたいから、やっていた」
ことが、

就職後には、
 『やらなければいけないこと』
に、変わったのです。

「仕事」という、
 『しなければいけないこと』
に、変わってしまったのです。

彼が、
ゲームが「つまらなく」なり、「苦痛」になったこと、
そして、仕事を辞めたこと、
そのことだけに、関して言えば、

変わったのは、それだけ、です。

そして、
それこそが、
彼が辞めた理由です。


津留さんが使っていた表現を用いれば、
 「エゴは、『しなければいけないこと』をするのが、苦手」
です。

 「しなければいけない」
と思った瞬間、
エゴは、苦痛を感じます。

そして、
みなさんが、「仕事」に関して感じていらっしゃる、
ストレス(悩み・苦しさ・辛さ)に関して言えば、

根本的な理由は、
 「(その)仕事を、『しなければいけない』」
と、認識なさっているということ、
その一点です。

もちろん、
表面的に感じていらっしゃる、「仕事」に関するストレスは、
 「ちゃんと評価されていない」
とか、
 「給料が、労働に見合っていない」
とか、
 「仕事の内容が、どうも、自分には合わない」
とか、
 「仕事の内容に関しては、いいんだけど、人間関係が ... 」
など、
様々だということは、充分に、承知しています。

そして、
その場合、それぞれのケースによって、
まず浄化すべき、原因(エネルギーブロック)は、
まず浄化すべき、『表面的』なエネルギーブロックは、
様々ではありますが、

ですが、
その『根本』的な、より『本源的』な、原因・理由・要因は、
共通していて、同じであり、

そして、それは、
 「(その)仕事を、『しなければいけない』」
と思っていらっしゃること、
そのことに、あります。


逆の言い方を、してみましょう。

みなさんが、「仕事」に関して、
ストレスを感じていらっしゃる、根本的な原因は、
 「(その)仕事を、『しなくてもいい』」
 「(その)仕事を、『辞めてもいい』」
 とは、思えて『いない』こと
に、あります。

選択肢として、
 「(その)仕事を、しない」
 「(その)仕事を、辞める」
というチョイスを、持てていない、ということです。

仕事ということに関して、
 「する」と「しない」
が、フラットに、なっていないのです。
ニュートラルに、なっていないのです。
「どっちでもいい」「どっちも同じ」に、なっていないのです。

もし、辛いのなら、苦しいのなら、
 「しなければいい」
 「辞めればいい」
のですよね。

 「もう、永遠に、しなければいい」
 「今すぐに、辞めればいい」
だけの話、ですよね。

ところが、
 「話としてはそうかもしれない」
『けれども』、
 「理屈としてはそうかもしれない」
『けれども』、
 「でも、そうは『できない』」
から、
悩んでらっしゃる訳ですよね。
苦しい訳ですよね。

つまり、意識的にであれ、無意識的にであれ、
「仕事」を、『しなければいけない』ものと、思っているのです。
あるいは、
「仕事」を、『しない訳にはいかない』と、思っているのです。

だから、苦しいのです。
だから、辛いのです。
だから、困るのです。

そして、
それこそが、苦しさの、『根本的な原因』、なのです。


念のために申し上げれば、
 「具体的に、『何をするか』は、
  無意味であり、関係ない」
と、言っている訳では、ありません。

仕事の内容(職種)や、事業の内容(業種)が、
どうしても、自分には合わず、馴染めず、

それらを変えることで、問題が解決し、
生き生きと仕事をなさっている方々は、たくさんいらっしゃることでしょう。

 「自分が好きなこと、得意なこと、ワクワクすることをしなさい。
  それが、あなたの天職です」
そんなアドバイスをもとに、
ご自分の小さい頃に好きだったことを、思い返してみたり、
得意なことを、仕事になさっておいでの方も、多数いらっしゃることでしょう。

それによって、幸せな生活を手に入れられた方も、
大勢、いらっしゃることでしょう。

それはそれで、
素晴らしいアプローチの一つであり、
とても有効な方法であり、
それ『も』、ぜひ、実践していただきたいと、思います。

ですが、
 「『自分が好きなこと、得意なこと』を探ってみたけれど、
  それでも、自分のしたいことが、よく分からない」
という方は、
大勢、いらっしゃるのではないでしょうか?

何を隠そう、僕もそんな一人でしたので、
そのような方の状況は、とってもよく、分かります。

あるいは、
 「『自分が好きなこと、得意なこと』を仕事にしてみたけれど、
  それでも、苦痛・不安・悩みは、解消されない」
という方すら、
いらっしゃるのではないでしょうか?

そして、
そんな方にこそ、ぜひ、
最初の、ゲームオタクの彼の実例を、思い返していただきたいのです。


彼の仕事は、『テレビゲーム』でした。
『遊び』の代表ともいえる、『ゲーム』でした。

そして、それは、
彼の、大好きなこと、でした。
彼の、得意なこと、でした。
彼の、ずっとしてきたこと、でした。

それでも、
彼は、嫌になってしまいました。
苦痛になってしまいました。

そして、
仕事を、辞めてしまいました。

『ゲーム』を『仕事』にした、結果 ...

この事例から、
ぜひ、
 「『何をするか』が、原因ではない」
という可能性について、考察なさってみてください。

そして、
 「ご自分のケースにおいても、同様かもしれない」
という可能性について、検討なさってみてください。


もし、今、
仕事について、悩まれていることがおありだとしたら、

仕事を辞められる前に、
ぜひ、じっくりと(でも、無理の無い範囲で)、
ご自分が感じてらっしゃる苦しさを、辛さを、
しっかりと、感じてみてください。

転職をされる前に、
新しい仕事を探される前に、
ぜひ、じっくりと(でも、無理の無い範囲で)、
ご自分が感じてらっしゃる苦しさを、辛さを、
しっかりと、分け入って、感じ、見つめてみてください。

繰り返しますが、
「仕事を辞めないでください」とか、
「仕事を換えないでください」とか、
「新しい仕事を探さないでください」とか、
申している訳では、ありません。

それらの行為をすることも、重要であり、
あるいは、
それらの行為をしないことも、重要です。

ただ、
ご自身の感じていらっしゃる「辛さ・苦しさ」に関しては、
ご自身が「不幸でないかどうか」「幸せかどうか」については、

どうぞ、自分の『内側』を、見つめてみてください。
自分の『中』を、探ってみてください。

そこにこそ、『原因』があるかどうかを、
ぜひ、ご自分で、感じてみてください。

 自分の『中』の『想い』『考え』『価値観』こそが、
 自分に苦痛を感じさせている原因である
という可能性について、ぜひ、検証なさってみてください。

そして、それによって、ぜひ、
 「ただ単に、単純に、外側の世界を変えることで、解決を図る、
  という、『永久循環運動』」
から、
一歩、足を踏み出してみてください。

現在の『窮地』を、
そのための、『絶好の機会』として、活用なさってみてください。

あえて言うならば、
 「それこそが、いま、あなたが、その苦しみを感じている、理由」
です。

そう、認識してみてください。
そう思えなくても、感じられなくても、まったく問題ありません。
ただ、「そうかもしれない」と、思ってみてください。


そして、ぜひ、
『浄化』をなさってみてください。

 「仕事を『しなければいけない』」
 「仕事を『辞められない』」
 「仕事を『しないわけにはいかない』」
そう、考えたときに感じるストレスを、
そう、思ったときに感じる『感覚』そのものを、
浄化なさってみてください。

あるいは、
 「仕事なんて、しなくてもいい」
 「こんな仕事、今すぐ、辞めてやる」
 「何なら、今すぐ、辞表を叩き付けてやる」
そう、想像してみたときに感じるストレスを、
そう、自分で自分に言ってみたときに感じる、ネガティブな『感覚』そのものを、
自分から取り出し、手放し、解放してみてください。

そのときには、
それを、繰り返し繰り返し、根気づよく、なさった後には、

きっと、
『浄化』というものの効果を、体感なさっておいででしょう。

きっと、
「苦しみ」「ストレス」「不幸」というものの構造・仕組みを、
また一段深く、理解しておいででしょう。

そして、きっと、
さらに一段、新たなステップへと、お進みのことでしょう。