2016年12月30日金曜日

2016アメリカ旅行32(終) 旅の終わり


 タマルパイス山での、
 最高のランチを終え、
 
 今回の、アメリカ旅行が、
 一段落したことを、
 「実質的に」終わったことを、
 認識しました。
 
 後は、
 「三次元的」な、
 「家族でのアメリカ旅行」を、
 楽しみました。
 
 
 タマルパイス山を下りると、
 さっそく、雲の下に入り、
 
 その直後には、
 ゴールデンゲートブリッジを渡りました。


 
 橋を渡り終わると、
 サンフランシスコです。
 
 その道を、そのまま直進すると、
 「世界一急な坂」と、一般に言われている、
 有名な坂( Lombert Street )に入ります。
 
 この写真は、
 その坂に入る、反対側(上り)ですが、


 
 混んでいて、少しずつしか進めず、
 オートマなのに、
 坂道発進が、怖くて、たいへんなほどの、傾斜でした。
 
 くねくねとした、「世界一急な坂」を、
 車で、走りおりました。


(資料画像)

 
 その後には、
 僕が、行ってみたかったところに、行きました。
 
 はじめて、ニュージーランドに行ったのは、
 基本的には、「英語の勉強」でしたが、
 
 その前に、日本での、そのための準備として、
 英語のリスニングを鍛えるために、していたのが、
 
 当時、NHK教育テレビで放送されていた、
 「フルハウス」を、繰り返し観ることでした。
 
 当時は、ビデオデッキ(!)で、録画をして、
 それを、普通に観た後に、
 「副音声」の英語に切り替えて、
 何度も観ていました。
 
 そんな関係で、
 サンフランシスコには、親近感があり、
 とくに、
 オープニングで流れていた、
 ビクトリア様式の家が並ぶ公園には、
 ぜひ、行ってみたいと思っていました。

(ここですね!)

 その公園は、
 アラモ・スクエア( Alamo Square )。
 
 さきほどの坂からも、
 さほど遠くないところにありました。
 
 残念ながら、
 工事中で、
 公園内部には入れませんでしたので、
 「イメージそのもの」の光景は、
 目にすることが、できませんでしたが、
 
 なんとなく、記憶していたとおりに、
 家が建ち並んでいて、
 それを目にして、
 一人、ご満悦でした ^^; 。


 
 
 そのあとには、
 すぐに、高速道路に乗って、
 再び、一路、南下。
 
 その日の宿泊地、
 モントレー( Monterey )に向かいました。
 
 道中は、再び、雲が晴れ、
 美しい青空と夕空の下を、
 快調に、進んでいきました。
 
 それでも、到着したときには、
 すでに、夜になっていて、
 この日は、簡単に食事を済ませて、
 就寝。
 
 いつもながらの、ロングドライブで、
 みな、倒れ込むように、寝入りました。
 
 
 翌朝、
 眠い目をこすり、起き上がると、
 
 再び、
 厚い雲の下に入っていて、
 「薄ら寒い」くらいの、肌寒さでした。
 
 朝食は、
 外のテーブルで、食べましたが、
 火が焚かれていました。


 
 アメリカで、はじめて体験する、
 「暑くない」気温でした。
 
 
 モントレーに泊まったのには、
 訳がありました。
 
 ウエイン・ダイアーさんのビデオ、
 「ザ・シフト( The Shift )」を観たときに、
 そのロケ地である、
 「アジロマー・カンファレンス・グラウンド( Asilomar Conference Grounds )」に、
 とても惹かれていたからでした。
 
 そこに、ぜひ、行ってみてたいね、と、
 以前から、裕子さんと二人、よく、言っていました。
 
 あいにく、
 当日は、会議が開かれていて、
 宿泊することはできなかったのですが、
 
 すぐ隣のモーテルには、
 泊まることができて、
 
 念願だった場所を、
 訪問することができました。
 
 
 広い土地に、
 ナチュラルなデザインの建物が並び、




 
 そこを抜けると、
 白い砂浜の海岸に出ます。




 
 太平洋です。


 
 海の向こうは、
 日本なんだと、思いました。
 
 日本の、縁のある、外房の海岸を想い、
 そこと、こことを、
 結びつけるイメージをしました。
 
 そこから、
 さらに、南に線を延ばし、
 ニュージーランドの、縁のある、太平洋岸の海岸、
 マウント・マンガヌイ( Mount Maunganui )とも、
 結びつけて、
 
 三角形をイメージしました。
 
 続けて、
 
 マウントシャスタと、
 八ヶ岳と、
 ニュージーランド北島のトンガリロ山・ルアペフ山とを、
 
 やはり、
 三角形で結びつけるイメージをしました。
 
 その中に入る、
 ハワイも、意識しました。
 
 そして、
 それらの場所が、
 これまで以上に、より、
 結びつき、融合し、
 起動し、
 新たな、予定された状態へと移行していけるように、
 と、意図しました。
 
 そのお手伝いができるようにと、
 祈願しました。
 
 『レムリア』の再興復興を、
 イメージしました。
 
 
 モントレーは、
 湾から出たところが、
 すぐに、深海になっていて、
 
 日本で言えば、
 「富山湾」のような場所で、
 
 豊かな海と、
 豊富な海洋生物で、
 知られています。
 
 有名な水族館も、あります。
 
 残念ながら、
 一番期待していた、
 ラッコは、見られなかったのですが、
 
 アザラシたちは、
 すぐ間近に、
 くつろいだ姿を、見せてくれました。




 
 これまた有名な、
 フィッシャーマンズ・ワーフで、
 名物の「クラムチャウダー」を食べました。


 
 
 予定を大幅に過ぎ、
 モントレーを経ったのは、
 昼過ぎ。
 
 それでも、
 もう一カ所、
 
 すぐ南隣の、
 カーメル( Carmel-By-The-Sea )に、
 立ち寄りました。
 
 ここは、
 さらに、こじんまりとした、
 とても雰囲気のある、
 「海辺の村」といった規模ながら、
 
 とても洗練された店や、
 豪勢な別荘が、立ち並び、
 
 とても素敵な雰囲気の場所でした。
 
 ここにも、
 真っ白な砂浜の海岸があり、
 
 そこからは、
 モントレー側(北側)に、
 ペブルビーチ( Pebble Beach )ゴルフコースが見られ、


 
 反対側、
 南端には、
 フランクロイドライトのデザインした別荘が見られました。


 
 
 カーメルを離れ、
 ようやく、
 ロサンゼルスへ戻る帰路につきました。
 
 ただし、
 最短時間になるように、高速道路を通るのではなく、
 
 景色の良い、
 海岸沿いの道を、走りました。
 
 カリフォルニア州道1号線( CA-1 )は、
 日本のテレビCMでも、
 ロケ地として、何度も、使われたことがあるようで、
 
 期待に違わぬ、
 素晴らしい光景を、見せ続けてくれました。







 
 途中には、
 ゾウアザラシも見られ、


 この道のドライブは、素晴らしかったです。


 
 ただ、
 それゆえに、
 けっこう、混んでいて、
 
 思った以上に、
 時間がかかってしまいました。
 
 
 夕暮れ時になって、
 ようやく、
 サンタバーバラ( Santa Barbara ) にまで、たどり着き、


 
 ロサンゼルスに戻ったときには、
 やはり、
 すっかりと、夜になってしまっていましたが、
 
 お気に入りの、
 ホールフーズ・パサデナ店の、
 閉店時間には間に合い、
 
 夕飯やおみやげを買うことは、
 できました。
 
 ただ、
 この日も、また
 ロングドライブの後の、宿泊で、
 
 ホテルには、
 「ただ寝るだけ」になり、
 それが、残念でした。
 
 
 翌朝、
 アメリカ最終日。
 
 ホテルの朝食には、
 日本の「カップヌードル」があり、
 
 みな、
 もうすぐに、日本に戻ると分かっていながら、
 手を出さずに入られませんでした。
 
 アメリカで食べる、カップ麺は、
 まったく同じ味なはずなのに、
 とても美味しく感じました。
 
 
 空港に戻る途中で、
 ハリウッドに立ち寄り、
 観光客らしいこともしてみました。


 
 僕は、
 大好きな、ジョントラボルタの手形に、
 手を合わせました。


 
 
 空港近くで、
 レンタカーを返却したときには、
 
 トリップメーターは、
 3,122.5マイル、
 5,025キロメートルを、表示していました。


 
 僕たちにとっては、
 文字通りに、
 大旅行でした。
 
 
 ハリウッドを後にして、
 空港に戻る途中、
  「おがけさまで、無事に、過ごせた。
   これで、終了だ」
 と、
 感じる瞬間がありました。
 
 そのとき、
 目の前に、
 車が一台、横道から入り込んできました。
 
 視線が、
 自然と、
 その車の、ナンバープレートに、行きました。
 
 「虹の模様」とともに、
  「HAWAII」
 の文字が、見えました。
 
 ハワイ州の、
 ナンバープレートでした。
 
 日ごろから、
 虹を、
  「『OK』を意味するサイン」
 と、
 受け取っている僕には、
 
 今回の旅行全体が、
 それで良かったのだと、
 感じられました。
 
 そのとき、
 裕子さんが、
 つぶやきました。
 
  「次は、ハワイね」