2017年2月26日日曜日

「上手く行っては、いけない」想い


 前稿 で、
 父親から受け取った、
 「ダメな『自分』」を否定する想いについて、書きました
 
 (その前の稿 では、
  母親から受け取った、
  「ダメな『自分』」を否定する想いについても、書きました)。
 
 それ以来、
 父親との関係、
 父親から受け取った価値観・想いなどを、
 改めて、思い返していたのですが、
 
 その過程で、
 父が、よく言っていたことを、
 一つ、思い出しました。
 
 
 父は、
 「強いもの」「勝っているもの」
 が、嫌いでした。
 
 僕が育った時代でいえば、
 たとえば、
 巨人が、大嫌いでした。
 
 どこか、好きなチームがあって、
 そこが、勝つかどうか、ではなく、
 「巨人が負けるかどうか」
 が、意識のポイントでした。
 
 そんな中、
 特に嫌いだったのが、
 「有言実行」タイプの人、
 
 特に、そのうち、
  「自分は、すごいだろ」
 ということを、明言してしまうタイプの人、でした。
 
 たとえば、
 そういうタイプのボクサーや、ゴルファーは、
 大嫌いでした。
 
 こういう人のことを見ると、発言を聞くと、
  「なんて、生意気なんだ!」
 と、熱(いき)り立っていました。
 
 そして、
 こういう人が負けたり、ミスしたりすると、
 したり顔で、
  「やった! ざまあみろ!!」
 と叫び、
 全身で喜び、溜飲を下げていました。
 
 そんな影響から、
 僕自身も、
 
 「判官びいき」こそが、正しい姿勢であり、
 謙虚であることが、素晴らしく、
 高慢・尊大なことは、あるまじきことである、とか、
 
 メジャーなものを敬遠し、
 マイナーなものを好む、とか、
 
 そんな傾向を、
 無意識のうちに、身に付けていました。
 
 
 さて、
 今回、この、父からの影響を検証するまで、
 
 僕は、すっかり、
 父は、「高慢なこと」「尊大なこと」が嫌いで、
 「謙虚さ」を好んでいる、
 と、認識していました。
 
 そのことそのものは、
 たしかに、そのとおりだと思います。
 
 ですが、
 今回、改めて、見つめ直してみると、
 
 父が、さらに嫌いだったのは、
 先にも、触れたとおり、
  「感情を抑えず・隠さず、表現する人」
 であり、
 
 だから、
 そのような、
 「自慢」を含めた、想いを表現する、
 「有言実行」タイプが、嫌いなのであり、
 
 そして、もう一つ、
 さらに、それ以上に、嫌いなのは、嫌なのは、
  「上手く行っている人」
  「成功している人」
 であり、
 
 とくに、
  「容易に、やすやすと、上手く行っている人」
  「あまり苦労せずに、上手く行っている人」
 なんだと、
 認識するに至りました。
 
 
 父は、
 前述のとおり、戦前の生まれですが、
 
 しかし、大学を出ており、
 そういう意味においては、一般的な意味においては、
 十分に、恵まれた、ちゃんとした、仕事に就いていました。
 
 しかし、これまた、前述のとおり、
 戦中に、父親を亡くしましたので、
 
 それゆえに、
 母や、兄弟のために、家族のために、
 若くから、働かざるを得ませんでした。
 
 自分の想いや、願望を、我慢し、無視し、
 「働かなくてはいけません」でした。
 
 そんな、「働かなくてはいけない」仕事において、
 なにか、上手く行かないことがあったり、
 なにか、不公平と感じる出来事があれば、
 
 それらのことを、
 過剰に、辛く感じたり、
 過剰に、重く感じたりして、当然です。
 
 それらを含めて、
 父にとっては、「仕事」をすることが、
 不可避な、選択の余地のない、「義務」であり、
 「しなければならない」辛いことであり、
 
 しかも、そこには、
 上手く行かない、辛い、苦しいことが、
 山積していました。 
 
 特に、仕事に関して、
 父は、「被害者」でした。
 
 
 僕にとって、
 これまでの人生において、
 明確に自覚できるブロックのうち、
 その大半は、「お金」に関するものでした。
 
 そして、そのブロックは、
 主に、父から受け取っていることを、
 自覚していました。
 
 父の、
  「こんなに苦労して、こんなに我慢して、
   稼いできているお金を、
   1円たりとも、無駄にするな!」
 という想いから、
 
 僕の、お金に関するブロックが構築されていることは、
 強固な、堅固な、お金のブロックが、出来上がっていることは、
 僕にとっては、自明なことでした。
 
 父にとって、
 「仕事」とは、
 
  自分の意思を押し殺し、
  家族ため、お金のために、
  苦労をして、辛い思いをして、
  しなければならないこと
 でした。
 
 そこから、僕は、
 「お金」とは、
 
  生きていくために必須なものであり、
  かつ、「仕事」をして、はじめて、得られるものであり、
  したがって、
  限られた、とても有限なものであり、
  苦労をした結果、辛い思いをした結果、得られるものであり、
  だからこそ、有効に使わなければならないもの
 と、受け取ってきました。
 
 そして、
 「生きる」とは、
 
  苦労をして、はじめて、
  辛い思いをして、はじめて、
  可能となるもの
 と、
 無意識のうちに、認識していました。
 
 そう。
 父同様に、
 
 「生きる」とは、
 「人生」とは、
 
  苦労をして、はじめて、可能となるものであり、
  辛い思いをして、はじめて、成立するものである
 と、
 強く、深く、信じ込んでいました。
 
 また、父のような、
 そんな信念を持って、
 苦労をして、辛い思いをして、生きている人にとって、
 
 上手く行っている人物は、
 成功している人物は、
 しかも、
 それを、自慢げに、得意げに、吹聴している人物は、
 
 どうしても、
 許せませんでした。
 認められませんでした。
 
 もし認めれば、
 「自分」という存在を、
 自ら、最根底から、崩壊させ、消去し、
 無にしてしまう、灰燼(かいじん)に帰してしまう、
 そんな、恐怖の存在でした。
 
 
 父が、
 「仕事」というものは、辛く、苦しいものである、と、
 無言ながらも、背中で、雰囲気で、放ち続けていた結果、
 
 僕は、「生きること」そのものを、
  「苦労すること」
  「苦しむこと」
  「辛い思いをすること」
 と、
 思い込んでいました。
 
  「苦労すること」「苦しむこと」が、人生なんだ
 と、
 思い込んでいました。
 
 なので、
 「生きる」ことを前提としたとき、
 「生きよう」と考えたとき、
 
 無意識のうちに、
 「苦しい」方向を、目指していました。
 「苦しみ」が含まれているものだけを、選択肢としていました。
 
 自分を、自ら、苦しみに、追い込んでいました ...
 
 
 そして、
 もう一つ。
 
 そのことと、同じように、
 同質的に、
 もう一つ、別の観念を、
 受け取り、握り締めていました。
 
 それは、
  「上手く行ってはいけない」
 という、観念です、
 
 だって、
 父は、
  「上手く行っている人」
 を、憎んでいるんですから ...
 
  
 もちろん、こんなものは、
 与えた当人である、父にしたって、
 与えようと、意図していたものではありません。
 
 当人としては、
 もちろん、むしろ、逆に、
 
  「自分の子どもには、上手く行って欲しい」
  「苦労しないで欲しい」
 と、
 思っていたはずです。
 
 そして、
 だからこそ、
  「ダメな『僕』では、だめ」
 だったわけです。
 
 しかし、
 当人の、そんな思いとは裏腹に、
 僕には、しっかりと、伝わってしまっていました、
  「上手く行ってはいけない」
 という、逆の観念も。
 
 父を愛し、感謝し、同情し、尊敬していたからこそ、
 却って、握ってしまっていました。
 
 父が好きで、好かれたいからこそ、
 認められ、受け入れられ、嫌われたくないからそこ、
 却って、強く、握ってしまっていました、
  「上手く行ってはいけない」
 という、逆の観念をも ...
 
 
 このことに、しっかりと、気づいたとき、
 自分が、「上手く行ってはいけない」と思っていたことを、
 明確に、認識したとき、
 
 僕は、
 はじめ、驚嘆し、
 つぎに、全身から、力が抜け、へたり込み、
 そして、最後には、笑ってしまいました。
 
  「そりゃ、上手く行かないはずだわ」
 
 声を上げて、笑ってしまいました。
 
 自分が、いかに巧妙に、この『ゲーム』を、作り上げてきたのか、
 自分自身に対して、感心してしまいました。
 
  「自作自演 ... 」
 
 このフレーズが、しばらく、
 頭の中を、リフレインしていました。