2017年11月13日月曜日

幸せな幼少期


私たちの個人セッションに来てくださる方の、多くは、

幼い頃、
たとえば、感情表現の激しいお母さんや、とても厳しいお父さん、
などに育てられ、

その結果、
未解決の感情や、揺るぎない価値観、強烈な思い込み、
などを、抱え込み、身に付け、

それゆえに、
辛い、過酷な人生を、歩んでこられています。


ところが、
ほんとうに、稀(まれ)に、ですが、

その反対に、

幼い頃は、
とても優しくて、穏やかな、ご両親に、
しかも、経済的にも恵まれた環境で、育てられ、

その結果、
ほとんど、ブロックらしいブロックも、身につけることなく、

何一つ、苦労も不満も無く、
平和で、順風満帆で、幸せな人生を、
送られて来られた方が、いらっしゃいます。


ところが。

では、何で、そのような方が、
私どもの個人セッションに、いらしてくださるのか、
というと、

そのような方の場合、
今度は、たとえば、結婚後に、

 「夫が ... 」
 「義母が ... 」
 「相手方の親戚が ... 」

これまでの、実父母とは、正反対に、
ブロックだらけの人で、

それらの人々との関わりで、
非常に辛い、強烈な体験をし、

それゆえに、
過酷なストレスを、味わわれておいで、
だったりするのです。


実は、
津留さんの姉であり、
私にとっての義母、故・山口潤子の体験も、
その口で、

裕福な家庭で、優しい両親のもと、
優秀な娘・学生として、

とても幸せな、『理想的』な、
前半生を送ったにも関わらず、

婚後、
夫と義母と、
反りが合わず、認められず、大切にされず、

苦痛と屈辱に満ちた、
結婚生活を送ったのでした。


義母のケースも含めて、
このようなタイプの方の場合には、

たとえば、
前半の、
幸せな、恵まれた、理想的な環境、

それゆえに、かえって、そのギャップから、

後半の環境が、より一層、
辛く、厳しいものと、感じられがちです。

前半の環境、それゆえに、
「不幸」や「辛さ」に対する『免疫』『抵抗力』が弱い分、

かえって、より一層、

後半の環境が、辛く、感じられがちです。

一度、望ましい状態を、体験してしまっているからこそ、
そしてそれを、『基準点』『標準点』『当然』としてしまっているからこそ、
かえって、

後半の境遇が、受け入れられず、信じられず、
「どうして! どうして ... 」
と、
嘆き、苦しみがちです。


あるいは。

「自分の人生」そのものは、相変わらず、幸せだけれど、
ないしは、
「自分の家庭」は、相変わらず、平和で幸福だけれど、

仕事で、職場で、社会で、
関わっている人々の多くが、
自分とは反対に、不幸な家庭で育ち、
ブロックを多く身に付けた人々だと
(そのようなケースは、多いと思います)、

そのような人々の心情が分からず、理解できず、
それゆえに、
それらの人々に、
どのように接したらいいか、
どのように恊働したらよいか、
どのように導いたらよいのか、
分からず、

それゆえに、苦しんだり、苦悩したりするケースも、
見受けられます。


このようなタイプの人生を歩まれた方々の存在や、
このようなタイプの人生のありようを、
お聞きになられて、

 お感じになること
 お思いになること
 気づかれること
は、
みなさん、さまざまであろうと、思います。

僕が、ここで、特にお伝えしたいと思うのは、
次のような、二つの点です。


一つ目は、

この記事の最初に書いたように、
人生に苦しんでらっしゃる、多くの方は、

幼少期、恵まれない環境に生まれ、育たれ、
それゆえに、
当時の環境・境遇を、憎んだり、恨んだりされ、

そして、
 「もし、母親が、もっと、こうだったら ... 」
 「もし、父親が、もっと、ああじゃなかったら ... 」

などと、
お思いになられることが、多いと思います。

もちろん、
そうお思いになられること、
それは、至極当然なこと、自然なことです。

そして、もちろん、
もし、過去の体験が、
そのような、望むような過去だったとしたら、

当時も、そして今も、
もっと、幸せだったかもしれません。


ですが、
仮に、もし、望みどおりの過去だったとしても、

いえ、
「望みどおりの過去だった」からこそ、
トータルとしては、よけいに、なおさら、

辛い体験をするかもしれない、

という、可能性があることについて、
一度、しっかりと、検討・熟考なさってみてください。

今、お読みになられた事例を踏まえ、
一度、ちょっと、検証・熟慮なさってみてください。

これまでの固着した考えや、
いま感じていらっしゃる、動かしがたい辛さが、
すこし変わられる可能性が、おありなのではないかと思います。


そして、二つ目は、
僕としては、これが、もっともお伝えしたいことですが、

僕は、過去に、このブログで、
お子さんをお育て中の方(あるいは、過去に、育てられた方)に向けて、

 価値観を与えてしまうことを、
 ブロックを与えてしまうことを、
 あまり、恐れないでください。

と、書きました
(過去記事「 子育てに当たって、「このごろ思うこと」 」)。

もう、4年近く前に書いた記事ですが、
今も、僕は、ほぼまったく同じことを、思っています。


そして、それに加えて、
今日、ご紹介したような事例があることを、
ぜひ、ご勘案さなってみてください。

一般的に言うような、
スピリチュアルな世界で、言われているような、
あるいは、自分が考えているような、
理想的な状況を、

『ご自分は』、
お子さんに与えられたとしても、

それが、必ず、ご自分の子さんにとって、
『最善』であるのか?

あるいは、
『ご自分は』、それを与えられないと、
お子さんにとっては、ダメなのか?

改めて、すこし、
考えてみてください。


ご自分が、そもそも、お子さんに、
理想的な状況をもたらしたかった、
その動機となった想いは、

果たして、
「ブロックを与えない」ということを、ご自分が、ちゃんともたらせたところで、
ちゃんと、果たされるのでしょうか?

改めて、すこし、
考えてみてください。


また、

このことは、
先に紹介した、過去記事 にも、書きましたが、

場合によっては
(というか、『体験』と言う観点からは、
 基本的に、そうなのですが)、

 「ブロックを与えることこそが、親の役割」
だったりします。


妻の裕子さんが、よく言っているのですが、

自分の子どもとして、
同じように接して、同じように育てても、

子どもによって、
受け取り、握る、ブロックは、
それぞれ、まちまちです。

場合によっては、
こちらからブロックを与えようとしても(たとえば、特定の道徳観念など)、
子どもの方で、断固、受け取りを拒否する場合があります。

上の子は、受け取ったのに、
下の子は、受け取らなかったりします。

あるいは、場合によっては、
自分(親)が持っていないブロック(たとえば、自分と正反対の道徳観念)を、
自分の言動を通して、
子どもの方で、勝手に(誤解して)、身につける場合もあります。

そのようなやり取りを思い返してみると、
子どもというのは、
親との関係を通じて、
自分に必要なブロックを、自分の都合で、自分で選択して、身につけるんだなぁ、
と、思わざるを、認識せざるを、得ません。


自分(妻)の身体から、生まれい出てきて、
それを、厳然たる『事実』として、体感し、目にし、認識していて、

しかも、
自分が世話をしなければ、何もできない、生命そのものが危うい、

そんな状態・関係を、たゆまず経過して来た、体験して来た、
その対象である、自分の子どもに対しては、

まず、そもそも、
無条件に可愛く、
だからこそ、できる限り、最善の状態になってもらいたい、
という願望があって、当然ですし、

加えて、
 「自分が、育てている」
 「しかも、子どもは、無力だ・非力だ・よく理解できていない」
 「だから、自分に、責任がある」
 「自分が、最善をもたらさねば」

という発想が、湧いてきて、
そんな想いを握っていて、
当然です。


ですが、
『結果』、どのようなことになるのか、は、
基本的に、「親」の想いや、行動、責任の範疇を超えたものである、
と、認識せざるを得ない。

そんなふうに、思っています。


ですから、
決して、望んだような、ベストな、子どもに対する対応ができなかったとしても、
ときに、自らの想いとは反対の行為を行ってしまうことがあったとしても、

そのことを、過剰に恐れたり、
そのことで、ご自分を、過剰に責めたり、
そんなことをされる必要は、ありません。

「親」である私たちも、『人間』であり、
『人間体験』の最中である存在です。

どうぞ、そのことにこそ、堂々となさってください。

また、そう思えると、
過去、ご自分が「子ども側」だった時の、
「親側」だった人々への想いも、
すこし、スッキリとされてくるのではないかと思います。

そして、
過去記事 の繰り返しになりますが、

大切なのは、
ブロックがあったとしても、それは、手放せること、浄化できること、
それを、親であるあなたが、自信を持って、知っていること、
だと思います。


同じ、子育て中の身として、仲間として、
子育てに関して、迷ったり、苦しんだりされている方のご参考になればと、
そう思い、それらの方々に向けて、書かせていただきました。

ご参考になることがあれば、
お役に立てることがあれば、
嬉しいです。