2018年2月22日木曜日

津留さん誕生日に 2018年


 今朝の千葉は、
 雪になり、
 
 そこそこの降雪も見られ、
 そこそこの積雪となりました。


 
 ここのところ、寒い日が続きますね。
 今日も、寒い一日となりそうです。
 
 みなさま、
 どうぞ、お身体にお気をつけて、お過ごしください。
 
 
 今日、2月22日は、
 津留さんの誕生日です。
 
 肉体があれば、
 72歳、
 とのことです。
 
 僕は、
 会ったことが無いので、
 
 その年齢を聞いても、
 何も、感情が動きはしないのですが、
 
 ですが、
 ご参考まで。
 
 
 さて、
 
 今朝、
 まだ軽い まどろみ の中で、
 
 しかし、
 頭は、
 
 今日が、津留さんの誕生日であることを、
 思い出し、認識します。
 
 今日を、この日を、
 何か、「特別なもの」「特別な日」と、
 しようとします。
 
 そう、捉えられるもの・根拠は無いか、
 探し始めます。
 
 
 ですが、
 
 今日が、
 「特別ではない」ことを、
 
 そして、
 今日が、
 「特に 特別には なりそうにない」ことを、
 
 認識します。
 
 
 その認識の以前に、
 「軽い、不完全感」
 「軽い、焦燥感」
 を、感じていました。
 
  「いまの状態では、いけない」
  「いまのままでは、いけない」
  「どうにかしないと、いけない」
  「もっと良くならないと、いけない」
 
 そんな、感覚です。
 
 これらの感覚は、
 そう認識することも、気づくことも、難しいほどに、
 
 瞬時に、
 自動的に、
 
 思考を動かします。
 
  「なら、どうしたらいい?」
  「なにをすればいい?」
  「なにが必要だ?」
 
 そうして、
 「今日、何をすべきか?」を、
 
 考え始めます。
 探し始めます。
 
 「今日が、特別かどうか?」
 を探し始めさせたのも、
 
 ほぼ、
 同じエネルギーです。
 
 
 そのとき、
 今日が、津留さんの誕生日であることを、
 もう一度、思い出しました。
 
 
 思考が、止まります。
 
 しばらくの間をおいて、
 そこに、
 一つの「想い・アイデア・認識」のようなものが、
 湧きます。
 
 
 それに従い、
 
 まず、状況・環境を、
 身体で、感じます。
 
 
 目覚めたとき、
 室温は、いつもよりも、ずいぶんと低めでした。
 
 布団の中に、
 全身を、横たえながら、
 
 しかし、布団の外は、
 なかなかに、寒いことを、感じます。
 
 
 しかし、同時に、
 
 身体は、
 暖かさに包まれていることを、感じます。
 
 布団のおかげで、
 身体は、
 
 柔らかく、暖かい『空気』に、
 包まれていることを感じます。
 
 
 静寂にも、気づきます。
 
 家族が、別の部屋で、
 朝の支度をしている、騒がしさ、慌ただしさ ...
 
 家の外、道を、時折通る、車の音 ...
 
 溶けた雪の、したたる音 ...
 
 聞こえる音も、気配も、
 ありは しますが、
 
 自分に届くのは、
 静寂。
 
 自分が包まれているのは、
 平穏。
 
 
 「欠けているもの」など、
 無いことに、気づきます。
 
 「不完全感」が、
 幻想であると、認識します。
 
 いえ、
 「欠けているもの」が あるとすれば、
 
 それは、
 ただひとつ。
 
 いま得た気づきを、認識を、
 普段は、常には、持ち合わせていないこと。
 
 だた、それだけだ、と、
 認識します。
 
 
 そこで、
 改めて、
 
 先の、
 湧いた「想い」を、実践します。
 
 
 ハートを、感じます。
 
 そこを、
 そこの感覚を、
 
 そこに来ている、
 エネルギーがもたらす『感覚』を、
 
 感じます。
 
 その感覚を感じていることを、
 
 その感覚を生み出している「エネルギー(ブロック)」が、
 現に、いま、
 自分のハートに来ていることを、存在していることを、
 
 判断無く、
 認め、認識し、
 
 そして、
 感覚を、感じます。
 
 
 すこし、
 感じ続けます。
 
 
 十分に、
 穏やかなレベルにあることを、確認し、
 
 つづいて、
 そこ・その場所を、緩めていきます。
 
 ハートを、
 開いていきます。
 
 
 無理の無い範囲で、
 心地好く、できる範囲で、
 
 ハートを、
 開いていきます。
 
 
 細か〜〜い 振動に、
 ハートが、あります。
 
 「問題は無い」ことを、
 感じます。
 
 むしろ、
 「豊か」であることを、
 
 むしろ、
 「恵まれている」ことを、
 
 感じます。
 
 
 十二分に、
 平穏で、
 
 十二分に、
 平和で、
 
 十二分に、
 豊かで、
 
 十二分に、
 幸せである ...
 
 それを、感じます。
 
 
 それに、
 浸(ひた)ります。
 
 浸り続けます。
 
 十二分に、感じるまで、
 
 意識が、向け続けられるまで、
 
 飽きるまで ...
 
 
  「完全ではない」
  「いまのままでは、ダメだ」
  「もっと、良くならなければ」
 
 そちらの想いに、意識を向け、
 
 そして、
 それらを、「無くしていく」「減らしていく」
 手放し、『浄化』していく、ことは、
 
 これまで、
 常々、
 して来てました。
 
 ただ、
 少なくとも、現時点の僕にとっては、
 
 そちらばかりに、なってしまっていて、
 そちらの比重が、どうしても、高過ぎて、
 
 どうにも、
 本来の目的である、
 
  「幸せを感じること」
 
 が、
 おろそかになっていて、
 比重が低くなっていて、
 
 ただ、それだけが理由で、
 現状の感覚を感じているのだと、
 
 再認識しました。
 
 
 『浄化』をすることも、
 「ネガティヴな認識」に意識を向け、それらを減らすことも、
 
 あるいは、
 「状況」「環境」を変えることも、
 行動することも、
 
 もちろん、
 素晴らしいことであり、
 有効なことであるのと、同じように、
 
 
 「幸せ」を感じようとすること、
 
 「ポジティヴな感覚」に意識を向けること、
 
 それらを、感じること、
 味わうこと、
 堪能すること、
 しっかりと、体験すること ...
 
 それらも、
 素晴らしいことであり、
 
 そして、
 続く段階としては、
 そちらこそが、意識されるべきことですね。 
 
 
 少なくとも、
 現時点の僕には、
 
 その認識を、改めて持つことが、
 その認識を、改めて強めることが、
 " プレゼント " となることを、
 
 津留さんからの『贈り物』として、
 受け取りました。